ほらふき男爵の“世紀末ドイツ旅行記”
第六日目
7月7日(水)
7月7日(現地時間AM06:30ごろ)
さて、もう毎度のことでお客様がたもお察しがつくのではないと思われますが、養父どのと義妹と吾が輩の買い出し隊が、またぞろ角のミュラーで朝ごパンを買ってまいりました。もしかしますと、もうこの早起きな謎の東洋人親子の顔は覚えられたかも知れませぬな。
今日はまたもやミュンヒェンを出まし
て、ルートヴィヒU世が最後に住まわれたヘレンキームゼー城を訪問いたします。道筋はミュンヒェン中央駅から東に向かい――ここで鋭いお客様はお気付きに
なられたと思われますが、つまりはザルツブルグ行きの列車に乗り込みまして、その路程の中途にあるキーム湖で降りるのでありますな。
乗車する列車は先日と同じホームに、先日とまったく同じような雰囲気を帯びた車体をのんびりと横たえておりましたわい。キーム湖畔のプリーンまでは1時間と少しで着きまして、そこから狭軌の汽車に乗り換えます。さてこのプリーンなる土地は、かつてのドイツ海軍屈指の勇将にして、柏葉付騎士十字章受勲者であるUボート艦長、ヴァルター・プリーンと何か関係があるのでしょうか?
おお、話がちと脱線してしまいましたが、ちなみに狭軌とは、ヨーロッパの鉄道の標準軌である、1432oよりもレールの幅が狭いのが狭軌と呼ばれます。このデンでいくと、日本の鉄道(1062o)はすべて狭軌となりますわな。
ここでは、それよりも狭い810oや762oのこと。いわゆる夏目漱石の
“坊ちゃん” に出てきた、マッチ箱みたいな列車を
想像してくだされ――おや、そんなもの見たことないから想像もできない。ごもっとも、左様でございますな。あるいは具体的にとおっしゃられるのであれば、
首都圏の方々であれば、西武遊園地の山口線を走っているミニSLを調べていただければ納得がいくと思われます。あれはそのものズバリでございますからな。
して、こちらはマッチ箱ならぬカステラの箱のような客車に乗り込みまして、木でできたクッションなしのロングシートの車内は、どことなく汽車がかつて
“岡蒸気”
などと呼ばれていた頃の二等客車のようでしたわい。もちろん、吾が輩も現物にはお目にかかったことはありませなんだが。そしてこれら客車を力いっぱい牽引する機関車でございますが、これがまた小振りで、まことに可愛らしい働き者でございました。
ちいさな列車は江ノ電よろしく、まさに家々の庭先をお邪魔するように町を走ります。8分ぼどで湖畔に到着し、今度は船に乗り換えます。驚いたことに、このミニ列車には
“キームゼー・バーン” なる、ご大層な名前がついているようでございます。ま、そのままな名前なのではありますが。
切符は船のも込みになっておりまして、船員さんにそのまま見せれば乗船OK。湖内にあるヘレン島に渡り、順路通りに丘を林を歩いてしばし。ベンチに座って何を想うのか、湖を眺めているおじいさんをパチリ。どこからやって来たのか、中途で出会ったシーズー犬らしきワンちゃんをパチリ。そういえば、ドイツでは街中でも犬を連れて歩いている人は多く見かけましたが、猫はただの一回、リンダーホーフ城にて見ただけでございます。もしかしたら、ドイツ人はカッツェが嫌い!?
視界が開けると、そこには当然ながら広い庭園と中央には巨大な噴水。それらを擁してヘレンキームゼー城が鎮座おわします。噴水はさかんに水を吹き上げておりましたが、逆光であったのとあまりの大きさで恰好のアングルが決めにくく、そうこうするうちにマヌケにも、水が止まってしまいましたわい。
さてヘレンキームゼー城ですが、こちらも残念ながら全館撮影禁止とされておりまして、館内の写真は申し訳ありませんが一枚もございませなんだ。こちらをご
覧になるには、インフォメーションにあったルートヴィヒ王ゆかりの城などをまとめた写真集を購入せずばならぬのでしょうかなぁ。ちなみにこの写真集類は、
史跡や博物館のみならず、ミュンヒェン街頭のおみやげ屋さんにでも売っております。日本でも丸善などの洋書屋さんで、あるいは大きな本屋さんなら日本語版
もあるかもしれませぬな――ま、ルイ14世フリークの王様のこと。内装の凝り様はすべての城に貫徹されていると申せば、ここまでお読みいただいているお客
様がたでありましたら。およそ想像がつかれるのではありますまいか。
お城を出ました吾が輩一行、養父どの
養母どのの50歳組は帰りにもあの順路をまた歩くのはツラいとネをあげますので、馬車に乗ることにしました。一台を待ちまして次なる馬車に乗り込んだのは
いいですが、産地直送野菜のトラックに群がる主婦たちよろしく殺到する欧米の観光客に押しまくられ、義妹と従姉が乗り遅れてしまいました。とりあえず三人
分の馬車賃を受け取り、吾が輩たち先行隊は出発しました。
馬車馬は働くそばから労働の記念品を道端に落として行くからか、馬車の上は蚊やブヨのような虫がたくさんたかって来よります。それこそ牛の尻尾よろしく、
両手を事あるごとに振っていないといけませぬ。隣のドイツ人男性がなんやかやと注意してくれるのですが、吾が輩『ダンケ』と生返事するしかなく、おそらく
はアサッテの所を叩いていたやもしれませぬな。
船着場に戻って義妹たちを待つことしばし。すぐにも次のが来たのか、さほど待たされずに一同顔を揃えることができました。すると先刻より増しつつあった灰
色の重たそうな雲が、はやくも天蓋の全面をほとんど覆いつつあります。乗船直前あたりから、ポツポツきていたのが、船が湖面を進み出すとひとしきり降り始
めました。しかし再びキームゼー・バーンのホームに着いた頃にはポツポツへと弱まり、プリーン駅に戻るとすっかりあがってしまいました。ま、吾が輩たちは
ツイていたのでしょうな。して、時刻はすっかり昼食どきを過ぎていたのですが、湖畔のレストランは高かろうと、プリーン駅に戻ったのですが、なんとプリー
ン駅前にはレストランらしいレストランがございませなんだ。
ファーストフードっぽいコーヒー屋さ んはあるものの、軽食だけにどうも腹の足しになるようなメニューはありませぬ。まぁ目につくあたりに店がないだけだろうとしばし歩いてはみましたが、これ がどうして、やはり満足な食事を提供してくれそうなお店は見当たりませぬ。そうなると、駅舎反対側に見え隠れするピザレストランが、美しく魅力的に瞳に映 りまする。されど、このような店舗事情であれば、あのピザレストランのお値段もかくやと想像ができますわな――てなことで、吾が輩一行はどうにか見つけた 総菜屋さんで、いくつか売られていた惣菜パンを購入。それを駅のホームのベンチでいただくという、ちとさびしいお昼となりました。その際、ホームへとつな がる地下道で、壁にスプレーで落書きされたハーケンクロイツを発見しました。ただその上には赤いスプレーでバツが書かれておりまして、“ナチス追放” の意なのであろうかと思いましたが、しかしそのすぐ隣には、向きとして卍のスワスチカも書かれておりました。吾が輩ちと考えてしまいましたが、目聡くそれ を見つけた義妹も同様に頭をひねる始末。そこで吾が輩、
『スワスチカは、本来は生命や自然の力の象徴だったりしたから、ハーケンクロイツばかりじゃなく、いろんな形態の組み文様があるんだよな』
と、講釈をぶってみせました。すると
義妹も、スワスチカは幸せという意味の言葉から派生しているとオツな知識を披瀝してきます。そこで吾が輩、三本の脚を腿で組み合わせた、気色悪い岩崎三菱
の社章じみたスワスチカの話をしようかなと思いましたが、さすがに食事前なので思いとどまりましたわい。
ホームでの簡単な食事を終え、足りない分は中央駅付近のカフェーかどこかで補充しようということになりました。ほどなく帰りの列車も到着し(そもそも湖畔
で食事しなかったのは、次の列車との連絡時間があまりに中途半端だったこともありました)、吾が輩一行はつつがなくミュンヒェン中央駅へ。そこから義妹が
今度から勤める法律事務所の入ったビルを見に行きました。初めてU−BAHNに乗り、テレーゼンヴィーゼ駅で降りました。歩いて一分の瀟洒な建物で、もちろん平日ですから人の出入りがあります。ウロウロしているところを知り合いと出くわしてもバツが悪いというので、早々に駅へと戻りました。
駅のそばにはなにやらだだっ広い平地 がございまして、ここはかの有名なオクトーバーフェストの会場になるのだとか。9月の第三週の土曜日から10月の第一日曜日までの16日間ぶっ続けで行わ れる、それこそ世界最大のビールの祭典でございます。あまりいける口ではない吾が輩など、この駅に着いただけでも、流れくる臭いで酔ってしまいそうなお話 ですわい。ただ義妹の申しまするに、去年ちょこっと顔を出したところでは、会場はテーブルといわず椅子といわずみんなビールでベタベタになっていて、もち ろん周囲には酔漢以外おりませんので、個人的にはあまり感心できるお祭りではないとか。しかし、欧米では酔って街を歩いていると罰せられる国が多いと聞き ますに、ここドイツでは酔漢を取り締まる法律は日本のように存在しないのですかな? さすがはビールの国ではありますが、それともドイツ人は、呑んでも呑んでも決してティーガー(トラ)にはならないのでありましょうか?
テレーゼンヴィーゼをあとにしてか
ら、次はマリーエン広場に出て、とあるカフェーに入りました。こちらはビルの六階がカフェー、その上のフロアがレストランになっており、本日の食べ足りな
い昼食の補充をしようという試みですな。全面ガラス張りのモダンなエレベーターで六階にあがり、そこから階段でレストランに行こうとしますと正面には本日
休業の立て札が。一同ガックリしたものの、とりあえずひと休みだけはしようということで、コーヒーを頼んで一息入れましたわい。
カフェーを出てからはヴァイン通りに入り、新市庁舎裏の庭園付近を散策&ウィンドウショッピング(もう何度もウロウロしておりますがな)いたしました。その中で、ミュンヒェンでも老舗といわれる高級食材店
“アロイス・ダルマイヤー”
を訪ってみました。
生ハムからサラミはもちろんのこと、各種の生肉に多彩な調味料、さらにワインやコーヒー、紅茶まで。どちらを向いても一級品と呼ぶにふさわしい品揃えでご
ざいます(吾が輩にはさすがに良し悪しまでは判りませぬので、とりあえず賛辞をば)。養母どのと従姉は、先日ホーフブロイハウスでソーセージについてきた
甘辛マスタードをいたく気に入ったようで、まずはそれを買い求めておりました。ちなみに従姉は、五瓶も買って帰りましたぞ。
吾が輩もちろん、生のガチョウを日本まで持って帰るつもりはさらさらございませんので、フロアを一巡してしまえばもうお店に用はございません。外に出て一服しておりましたが、洋服も生鮮食品も同じなのか、家族はなかなか出て来よりませぬ。
ふと街路に目をむけますと、そこにはフォルクスワーゲンの新車がさりげなく停まっておりました。いま思えば写真の一枚も撮っておけば良かったのですが、な
にせ当のドイツ人自体もまだ実物を目にしたことはないらしく、結構人だかりになっておりまして、その群れの中に混ざらないことには撮影できませなんだ。そ
こまでして撮るほどの物でもなかろうと、吾が輩二本目のタバコに火を点じたのでございます。
そのうち、吾が輩いたずらに時間を消費しているのが馬鹿馬鹿しくもなり、場所も近いことから、ホーフブロイハウス手前の
“おみやげ通り”
のあのお店で、キーホルダー仕立てのスウィッチ・ブレイド(かなり可愛いミニチュア品)を買いに行こうと、家族の誰にも断りなしにサッサと作戦を開始したのです。
ひとまず英語でどう喋ったものかと、
あれやこれやと文章を組み立てつつつつおみやげ通りのその刃物屋さん、入口からちょいと覗いてみますと、カウンターでは白髪初老のおかみさんが、知己らし
き同年輩ふうの女性と、一見したところ裁縫用じみた小さなハサミをいくつも並べ、なにやら話しこんでおる様子。店の中に入ってみたものの、世間話にでも熱
が入っているのか、吾が輩が割りこむ余地はございませぬ。
泣きベソをかきつつ(うそ)、夕暮れの街を肩を落としてダルマイヤーまで歩いて戻ると、店の前には義妹をのぞいた家族の顔が。案の定、吾が輩が移動したのと入れ替わりに買い物を終えた家族が出てきて、行き先を見越した義妹が吾が輩を追っていったらしいのですわ。
それにしても、そんなに道順があるでもなし。どこで行き違ったのでありましょう――ゆえに、吾が輩さきほどとは違う道筋で、家族を引き連れおみやげ通りへと向かいました。するとちょうど義妹が角を曲がってくるのに行き当たり、無事家族の顔が揃いました。
そうして彼女の通訳つきで、なじみのお客さんがいなくなっていた刃物屋さんで、お目当てのキーホルダー付スウィッチ・ブレイドを購入できました(全長7p弱。刃渡りは2p程度。ホントですぞ!)。あとはみんなで、おみやげ通りの店々をのぞいた次第。
そのうちの一軒に、スポーツ用品店ないしはサッカー用品店があり、そこのウィンドウにはミュンヒェンご当地のサッカーチームのユニフォームが飾られており
ました。シンボルカラーの水色の縦縞で、胸には大きくレーヴェンブロイのロゴが入っておりました……はて、チーム名ですかな?
申し訳ございませぬ。吾が輩サッカーにはとんと疎いたちでございましてな。そのようなものは探ろうとも思いませんでしたわい。
近いついでに三越にも寄り、ここで再び吾が輩は待ちぼうけを食わされまして、そこで撮ったのが、ちょうどお色直しの終わった直後のホーフブロイハウスでございます。ま、ちょいと小用をもよおしましたので、おトイレをお借りしましたがな。
三越を出ると、あとは結局そのままホテルに戻りました。二階の禁煙室でダベりながら休息し、夕飯は斜め向かいの金魚楼にていただくことにしました。今回はやたらな皿を注文せずに一人一皿に抑え、打って変わって全部きれいに平らげて帰ってきました。しかしあの
“酸っぱ辛いスープ”
は、こちらのほうが味はよりマイルドでございますな。
して、今日のスケジュールはこれにておしまい。明日はミュンヒェン市内にて、最後のおみやげツアーとあいなります。
1999.8.21 (C)Mephistopheles von Muenchhausen