ほらふき男爵の“世紀末ドイツ旅行記”
第五日目
7月6日(火)
7月5日(現地時間AM06:30ごろ)
今日は昨日よりも遅めではございますが、吾が輩もう少し眠っていたかった。しかしルームメイトは、はや五十を越えた養父どのでございますから、朝が早くなってしまうのはこれ必定でございます。厭々ながらも起床して、身支度を整えます。
女性陣は就寝してもやはり話題が尽きないようで、ついつい話しが夜更けに及んでしまうそうで、朝は遅くなりがちの様子。そこでしばらくTVなどを観て時間をつぶします。
ドイツでももちろん独自に制作したドラマなどはありますが、それよりもアメリカから輸入した番組を訳して放映する方が多いとは義妹の言。たしかにこれまでの何夜かは、ピーター・フォーク(コロンボ)やソフィア・ローレンがドイツ語を話していました。
そ
れはそれで、中でも吾が輩の興味を引いたのが、朝に放送されていたとあるドラマでしたわい。舞台はいずこかにあるルフトヴァッフェ(空軍)の捕虜収容所。
そこに収容されている背の高い黒人と、中背の白人のアメリカ兵。やはり女に目がないフランス兵。妙な黒ベレーをかぶったイギリス(?)兵らが、少々頭髪が
薄くなり始めた空軍司令官(襟章は赤地に金糸縫いの将軍のそれでしたが)と太っちょの兵卒のコンビと繰り広げるコメディでございました。もちろん全編ドイ
ツ語なので、笑うタイミングなんぞ皆目見当つきませぬ。
このドラマ、どうも白人の米兵(A‐2に似た革ジャンを着ていたのでそう判断してみました)がやたらにうまく立ち回っているので、おそらくはアメリカ制作の番組ではないかと思われますな。ま、ドイツに自虐というギャグ・センスがあればどうか判りませぬが。
あとは、ニュースを観るか豪華賞品が当たるクイズ番組(これは最後までルールが掴めませなんだ。要は最後までハズレを引かずに段階を進めれば、それだけ商
品が高額になっていくようでした)を観るしかないのですが、そうこうするうち、下で女性陣も活動を始めたようで、内線で義妹から"買い物出動OK"の連絡
が入りました。買い出しはもうお馴染みである、角の肉屋とミュラーにてでございます。硬くて美味しいパンをいただいて、特に急ぐ予定ではないのでゆっくり
と歓談の時間を過ごしました。お店の開く頃合を見計らってホテルを出て、まずは何はなくともマリーエン広場に行きましたわい。
まず足を運んだのが、マリーエン広場駅地下にある、DVV(ミュンヒェン交通局)の
窓口で新たな団体用の交通切符を購入。東洋人の集団がゾロリと並んでいるので、受付の女性が『英語の方はあちらで』と気を利かせてくれたのですが、義妹が
堂々たるドイツ語で答えるとハッと目を見張り、愛想の中にも「なかなかネ」という好意のこもったまなざしで応対してくださいました。
切符を手に入れたあとは、三越ミュンヒェン支店に
直行。昨日のノイシュヴァンシュタイン城の麓の店にも三越は入っていましたが、そこで養母どのが気に入ったタオル(だと思うのですが)が、ミュンヒェン支
店なら色を豊富に取り揃えていると聞き込み、それで一番に立ち寄った訳でございますわ。中にはお菓子やくるみ割り人形、ビアジョッキやマイセンまでも置い
ているようでしたが、吾が輩外でタバコをふかしておりました。三越の斜め前には、今夜義妹のお友達と会食予定のホーフブロイハウスが
ございます。ここでナチスが旗揚げしたという逸話がまことしやかに囁かれておりますが、それはかなり眉唾だという話もございます。そのナチスが、ごく初期
のメンバー(フェーダーやドレクスラー、エッカルトなど)だけのドイツ労働者党なのか、それともかのヒトラーを交えた“国家社会主義ドイツ労働者党”なの
かで随分と変わってきますな。
三越で1時間半ほどねばられてから、路地を縫うように北へと至り、マキシミリアン通りに出ました。こちらを西に折れると、バイエルン国立歌劇場(ご存知のお客様もいらっしゃると思われますが、ドイツはもともと国内の諸王国が連合してできた国家なのでございますぞ)やレジデンツ王宮&博物館(こちらもルートヴィヒ王ゆかりの宮殿にございます)、それら建物に囲まれるようにマックス・ヨーゼフ広場がございます。
吾が輩一行が往来に出たとたん、突然はり上げられた怒声が、道行く人々すべての目を釘付けにしました。見れば黒のスーツを小粋に着こなしたサングラスの男
性が、腕を振り上げ、周囲に怒鳴り散らしておるところ。義妹が訳しますに、どうも彼の車の前後に停めた人たちがあまりに密着させたため(路上駐車ではな
く、きちんとメーターが据え付けられている所ですぞ)、彼自身が発進できなくなっているようなのですな。
それをよせばいいのに、歌劇場の窓から野次馬している連中が面白半分に揶揄するものですから、黒のお兄さんすっかり頭に血が上りましてな。さらに声を荒げてわめき散らすはクラクションは鳴らすは、もう手のつけられ様もなだめ様もございませなんだ。
持ち主はどちらも知らぬ顔を決め込んでいるのか、それとも出るに出られなくなってしまったのか、一向に姿をあらわす気配がございません。お兄さん終いには
ぶつけてでも出してやるとか言い出して車に乗りこみ、エンジンをかけましたわい。吾が輩一行は見ているのも気の毒で――と言うよりは、さわらぬ神に祟りな
しとばかりに、そそくさとその場を去りましたのでした。
マキシミリアン通りは高級洋品店が軒
をつらね、いわば
“ミュンヒェン銀座”
と言うところでしょうか。おや、そんなにも垢抜けない表現ですかな?
ま、たしかに語感からすれば “戸越銀座”
とか町の商店街を連想してしまいそうですが……して、あらためて服や靴の値段に目を輝かせる家族一同。吾が輩以外はほとんど服飾品に目がない連中でござい
ますから、それだけでも楽しそうな様子でございます。先にも申し上げましたが、吾が輩はとんとそういった物には興味ありませんでな。ですから、なにか記録
として残すべき景観はないかと、始終キョロキョロしておりましたわい。
さすがに有名ブランド店が目白押しなので、吾が家族はまさに歩いては入店、歩いては入店で、吾が輩手持ち無沙汰もいいところ。自然タバコに手が伸びる回数
も増えようと言うものですわい。路肩の花壇に腰掛けつつ、デジカメに収録した写真を確認していると、二人連れの女の子達が次のようなことを英語で話しなが
ら歩き去っていきましたぞ。
『ねぇ、ここ寄ってみない?』『やァよ。とっても高いのよ』
確かに、吾が輩が家族の荷物番をしているその店は、吾が輩も存じ上げておりますフランスの高級ブランドでございます。関係はございませんが、ルイ・ヴィト
ンなどは現地フランスでも、まぁ値段の関係もあるのでしょうが、持ち歩かれるのは落ち着いた年代の女性たちで、若い女性はほとんど見かけないというのはよ
く聞く話でございます。なんとなく金満ニッポンを地でいっているようでいささか恥ずかしい気がしたのですが、養父どのらはすでに不惑の歳を越えております
ので、それが免罪符と吾が輩自分に言い聞かせました次第ですわい。
マキシミリアン通りから北へと進みま
すとテアティーナ通りに至り、さらにはオデオン広場に出ます。ここはかつて、第一次世界大戦開始の布告がなされた時、歓喜する群衆を写した中にヒトラーが
写っていたなどのいわくのある場所でございます。もちろん、その後のナチスのミュンヒェン一揆にも関連してくるはずですが――とまれ、そういった部分だけ
でドイツをあげつらうのはあまりに偏屈ですので、現ミュンヒェンとしてのオデオン広場を描写しましょう。
オデオン広場は正面に演壇(あるいは舞台)がしつらえられておりまして、その前が広場だとするとやや狭い感じがいたします。右をいま来たテアティーナ通
り、左をレジデンツ通りに挟まれているのも、そう感じる要因やも知れませぬ。レジデンツ通りを南に下るとすぐ左手にレジデンツ宮殿があり、突き当りがマッ
クス・ヨーゼフ広場のあるマキシミリアン通りでございます。レジデンツ通りにはさまざまな菓子屋やクーヒェン(ケーキ)もいただけるカフェーが並んでおり
ましたが、どこも大変な盛況振りでなかなか入ることができず、さらに雨もパラついてきたので、店先に出ているテーブルでは用が足りません(いい場所はすで
に埋まっておりますでな)。しかたなしに再びマキシミリアン通りを西に向かい、ヴァイン通りへと南に折れ、そこから左にプロムナード広場へと出ます。その
付近にある男性用のブランド店にてお買い物。独り日本に置いてけぼりにされた義弟へのプレゼントを買うとのこと。吾が輩は男物でも、嘘いつわりなく(ここ
まで強調する必要もないですが)ファッションには興味ありませんゆえ、店先で一服プカリプカリとやっておりましたが、すると歩道の一角に、なにやら奇妙な
オブジェが敷かれておりますぞ。排水溝や地下鉄の通気溝などでは到底なく、これはどうにもオブジェとしか形容できないシロモノなのでございます。
ぱっと見て目についたのが、まるで殺人現場によくある、チョークで囲った死体のようなデザインが施された、斜めの鉄の格子板ですな。最初はお店の広告看板か、あるいはどこかの美術学校の学生が造ったストリート・アートかとも思いましたわ。しかし、その上の部分にある文章を 読みまして(内容はまったく汲めませんでしたがな)、吾が輩ピンときましたのです。この御仁、お名前はクルツ・アイスナー。時は1918年11月8日―― 以下は、果たして理解することはできませなんだ。あとはバイエルン共和国という語が拾えたぐらいですわ。もし殺されたのなら、erschossenという 単語が出てきてもよさそうなものですが、どうやらそれも違うようです。時期的にひらめいたのが、ワイマール共和国の初代首相(暗殺されている)ですが、こ こはミュンヒェン。ワイマールではございませんのでダメ。買い物を終えた義妹にさっそく解説してもらおうと読んでもらいましたが、単語に難解なものがあっ たようでして、辞書がないと判らないとのことでした。もちろん吾が輩デジカメにてこれを収めましたゆえ、後ほど自分で解読してみましょう。
それからは昨日通った道を逆にたどっ
たわけですな。市庁舎裏の庭園のそばにある刃物やさんは一風変わっておりまして、ナイフや包丁をはじめとして、さらに大きさを増して剣や槍、極めつけは朱
塗りの鞘に収まったサムライ・ソードなどが飾っておりました。このように、本日吾が輩は刃物屋の前などでしか立ち止まることはありませんでしたわい。
しかし、今日のこの天気のグズつき具合はどうしたものでございましょう。昨日までの晴天がまた嘘のようでしたわ。それこそ肌寒いくらいでして、せっかく
買ったTシャツが無駄になるのでは、などと危惧したくらいでしたぞ。それよりも、義妹が申すにはこれこそがミュンヒェン本来の天気なのだとか。なれば、お
城めぐりをいたしました前の三日間の晴天は、吾が輩たちまことに幸運であったということでしょうかな。
して、ヴァイン通りに面した靴屋で家族が養母どののサンダルを見ているところで(今回の旅行はひんぱんに足を使うので、足がむくんで疲労が溜まっていると申しておりましたので)、吾が輩ふと時計に目を遣りますと、ちょうどお昼に五分前ではありませぬか!
何たる偶然!
計算したわけではないのですが、これは庁舎正面のからくり時計を見るのに絶好の時間帯でございますぞ!
吾が輩家族をすっかりうっちゃって、庁舎前へと走りましたわ――もちろんセーフ。撮影ポジションもバッチリでございます。
正午の鐘が打ち鳴らされ、それがきちんとメロディとなって奏でられると、上下のヴェランダに
次々と人形があらわれ出でます。もちろん、ただ続々と出てくるのではなく、細かくギミックがついており、ちょっとした物語構成になっているようですな。吾
が輩わざわざデジカメを二倍にしてその様子を撮影してみたつもりなのですが、生憎の曇天が禍して、せっかくのからくりは鮮明には写っておりませなんだ(後
日、これらの不鮮明な画像はどうにか修復できましたゆえ、いずれお客様がたにも披露させていただきますわい!)。
こうなれば、お次はお昼をいただくこ ととなりました。その直前についに雨が降ってきましてな。もちろん、一同きちんと用心し、折り畳み傘を用意しておりました。しかし吾が輩は畳むのが面倒な のと、目当てのお店も近いということもありまして、春雨よろしくそのまま濡れて行きました。お店は"金魚楼"。先日入ったお店ではなくて、マリーエン広場 にある、おそらく姉妹店かなにかだと思われますわい。店舗は地下にあり、やや暗めのアダルトな雰囲気でしたわい。ショートカットの小綺麗なウェイトレス嬢 が給仕してくだされて、頃合よろしくランチタイムセットを注文しました。当然、付け合せのスープはあの酸っぱ辛いスープにしましたわい。吾が輩は牛肉の旨 煮セット、養母どのが海鮮炒飯、養父どのと従姉が白湯麺(つまり塩ラーメン)、義妹が……ああ、また失念してしまいました。思ったより、食べ物の記憶とい うのは残らないものですなぁ。
こちらの店のスープは、ちと酸味が強 うございましたな。それでも美味しくいただきまして、吾が輩ちと小用をもよおして、おトイレに向かいましたわ。で、その入口横の壁に飾られた絵を見て、さ すがはミュンヒェンにその名を知られた中華料理店、と吾が輩いたく感心させられましたな。そこには、心静かに半紙に筆をふるうご老人の姿がございました。 それも――それも、でございますぞ。そのご老人、いわゆるウンコ座りにて、半紙に向かっておりましたわい。その絵こそ、こちらの中華料理店の成り立ちを如 実に、微細あまさず具現しているように思えましたな。
金魚楼を出てのち、今度は西へとカウ
フィンガー通りに入りました。それこそ、家族は通りに面したお店には逐一顔を出さずにはおられぬ勢いで歩いております。吾が輩はすっかりお供の態で、それ
こそ仕方なしについて回ります。しかしそれではあまりに退屈なので、四時より二時間ほど自由時間を得て、吾が輩勝手に市内を歩くことに決めましたわい。
吾が輩そのまま西に進み、目についたCD屋さんや本屋さん、そしておもちゃを扱っているお店に突進していきましたわ。CDについては昨日とさほど変わらぬ
結果となり、本屋さんは流行りの傾向を追おうにもいま一つチンプンカンプンでしたが、さすがにおもちゃは一見して合点がゆきますな。品揃えは日本のそれと
やはり大差ありませんわい。
特にデパート内のおもちゃ売場などは、ここが島屋だとかダイエーだとか言われても何の違和感もありませなんだ。人形あり、プラモデルあり、ミニカーあ
り。そのうえプレイステーションも売っておりますわ。吾が輩プレステ嫌いですので、どんなソフトがあるか確かめもしませなんだが、今となってはちと残念で
すわい。せめてどんなご当地ソフトが発売されているのかぐらいは、見ておいてもバチは当たらなかったでしょうにのう……。
プラモデルは、もちろん車やバイク、クルーザーなどまともな物から、かつてのドイツ海軍所属のポケット戦艦やUボート、ルフトヴァッフェのBf-109や
Ju-87(それもマニアックなG型。カノーネフォーゲルですぞ!)などまでが置いてありました。しかし、ルフトヴァッフェなどが特にそうだったのです
が、翼や胴体の鉄十字マークは描かれていましたが、尾翼のハーケンクロイツはさすがにどの機種もなきものとされておりました。そうして――無理からぬこと
か、どこにも地上兵器は見当たりませぬ。ケーニヒスティーゲルはおろか、四号戦車すらその勇姿を見せませぬ。最終的にUボートによる奇襲攻撃しか術のなく
なったドイツ海軍と、バトル・オブ・ブリテン以降は戦略空軍としての資質が怪しくなったルフトヴァッフェと違い、やはり西側連合国相手に、ベルリン陥落ま
で最強を誇ったドイツ陸軍(旧ソ連軍は特異にて除外)の兵器は、その強さゆえに忌避されているのでございましょうか?
結局は、カールス広場前にあったおもちゃ屋さんで、日本ではすでにお馴染みのタミヤ・ブランドの戦車や装甲車、兵士のフィギュアを発見したのみでございま
した(こちらにはイタレリ製の戦車なども置いてありました)。
そもそも、吾が輩がなぜにおもちゃ屋 さんを中心に歩いていたかと申しますと、別段親戚の子供におみやげを買うとか、そのような理由があったのではもちろんありませぬ。吾が輩、自慢にはなりま せぬが、決して他人の道理で動いたりはいたしませぬ。飽くまで自分自身の心の命じるままに行動することを旨としておりますでな……ま、そのような話は横に 置いておきまして、皆様、思い出してはいただけますまいか。吾が輩どうにも欲しかったものの、あまりの値段に泣く泣く断念した品物のことを――いえいえ、 スウィッチ・ブレイドではございませぬぞ。吾が輩のご先祖さまが、砲弾を抱えて飛行しているあのお人形でございますわ。せめてあれのミニチュア版でもない ものかと、母をたずねて三千里よろしく、方々をこうして訪ね歩いているのでございます。
先程の戦車のくだりでもう結論は出て
しまっていますが、ノイハウザー通りをも突っ切ってカールス門まで至っても、ついにご先祖さまのお人形は見つかりませなんだ。あの本屋さんとまったく同じ
物すら、なのです。これには吾が輩すっかり落胆しましてな。さりとて250DMもする大きなお人形を買って帰る気もございませぬ。第一、吾が輩の現在の借
り住まいには、飾るスペース自体ございませぬからな。実際プラモデル探索は、その副産物のようなものでございましたのですから。
さて、その一方で観察していたのが、これもいくつか出ていたプレステやタミヤの模型など、いわゆる日本製の玩具でどのような物が進出しているか、でござい
ます。ドリームキャストはちと見かけなかったように記憶しておりますが(湯川常務はどう思われますやら……)、ニンテンドー64は見かけた覚えがあり申
す。逐一細かく探索していたほどでもないので、ミクロマンやポケットモンスター等があったかどうかは定かではありませぬ。
ただ、驚くことにセーラームーン人形が一軒だけ(カールス門のお店とは違います)扱っていたのが印象に残りました。あとで義妹にそれを聞きますと、どうもこちらでは需要は幼女にあるのではなく、ドイチェ・オタクに非常な人気があるのだそうでございます。
それから、吾が輩ゾンネン通りをむこ うに渡りましてな、ふらふら歩いているところへちと大きなショーウィンドウが目に入りました。そこにはラジコンの飛行機やモーターボートが飾られておりま す。期待に胸ふくらませて店内に入りますと、一階はぬいぐるみやらボードゲームやら、いわゆる普通の品揃えでありますな。して、二階にあがりますと、そこ は一面模型のフロアで、ショーウィンドウの展示に従って陸海空のラジコンをはじめとして、プラモデルから鉄道模型と手広く取り揃えられておりました。特に 鉄道模型は、かの有名なメルクリンが吾が輩の目を引きましたな。なにせ大きい大きい。縮尺は何分の一スケールなのでございましょうか? 全長が40cm弱、車高が12cmほど。幅はケースの位置の関係でよくは測れませんでしたが、それにしてもこんな大きな模型、貨車や客車などを十両ほども 連ねて運転させることができるのでしょうか? よほど広い庭のあるお大尽でないと、線路すら敷設できませぬぞ。 それともこれは鑑賞専門で、他にもNゲージやOHゲージサイズでちゃんと出ているのでございますかな?プラモデルでは、1mほどの箱に入った戦艦があり、 あとはラジコン用のちいさな発動機やチャンネル、ダイナモやバッテリーなどが並べられておりましたわい。
そうして結局、吾が輩はひやかしの態で店を出ました次第。往来をカールス広場に向かって歩き、行き当たった裁判所を
パチリ――しかし吾が輩思いますに、ドイツは電車の座席ばかりでなく、街並みも結構こぢんまりと造りますな。新市庁舎でもそうでしたが、建物全面を収めよ
うにも、うしろに下がっているうちに壁にぶつかったりと、絶好のアングルがなかなか確保できず、大方が部分々々を切り取るような写真になってしまうのです
わ。
さすがに曇天なだけに、本日の夕暮れは早くおとずれたようですわい。街には街
灯やネオンが灯りはじめ、空も建物も濃い藍色のトーンに沈んでゆきます。時計をみればそろそろ頃合ですわ。吾が輩信号を待つのももどかしく、エスカレー
ターを使ってS−BAHNの駅を兼ねた地下街を横切り、そのままカールス門へと上がりました。これは申し上げるのもちと遅くなった観がありますが、ドイツ
のエスカレーターは時間帯で動く方向が変わるようできております。
たとえば地階から見て、手すりの横にある上向きの矢印が点灯していれば昇りだけ。逆に地上部分で下向きの矢印が点灯していれば降下オンリー。それも、利用
者がやって来るまではずっと停止しておりますので、省電力にも一役買っておるようです。つまり、矢印が消えている場合は逆進しませんので、階段を使わねば
ならぬというわけ。ちなみにエレベーターも自動運転というのはなく、次の利用者がこない限りは最後に止まった階で停止しているというのが普通のようでござ
いますな。
さて、ふたたびカールス門をくぐって
ノイハウザー通りを逆進し、くだんの金物屋さんの前でスウィッチ・ブレイドに憧憬のまなざしをしばし注ぎ、しかして待ち合わせの新市庁舎前にやって来まし
た。時間は六時に悠々間にあうほど。時間厳守は紳士のたしなみでございますからな……と、家族のほうも目を引くお店に限りがあったか、ほどなく落ち合うこ
ととなりました。はて、やって来たのは従姉と養父どのの二人だけ。
養母どのと義妹はどうしたか、と問いますと、いつの間にやらシャツにシミがついていた事に気がつきまして、シミ抜きを探しに薬局に寄っているとのこと。や
やあって到着した義妹の白いシャツを見てみれば、なるほど左胸のあたりに、薄いピンク色のシミが点々とついておりますわ。吾が輩の見立てでは、飛沫がつい
たというよりは、上からしたたり落ちてきて染みたような軌跡がありましたな。
ともあれ、原因の解明よりもシミ抜きを手に入れることのほうが先決。六時まであと少ししか猶予もございませぬゆえ、吾が輩も同行して、イン・タール通りに
あったミュラーへと急ぎました。して、なにゆえ吾が輩も一緒に行ったかと申しますと、ドイツには強力なシミ抜き(というよりは万能汚れ落とし)がありまし
て、吾が輩養母ももそれを使用したことがございますわい。これがまたよく落ちる落ちる。品質には信頼がありますが、ただ養母はメーカーもデザインもすっか
り忘れておりまして、吾が輩デザインとロゴマークはうる覚えに記憶がありましたので、頼りなくはありますが一応のご意見番として同行した次第にございま
す。
ミュラーの地下に薬局コーナーはあり、義妹はすぐさま目に入った中年の女性店員さんに事の顛末を説明します。すると店員さん、やや困惑気味の表情をつくっ
たものの吾が輩たちを導いてくださって、『おそらくこれで大丈夫でしょう』と、いくつかのチューブが並んだ棚を教えてくれました。種類がさまざまなのは、
もちろんメーカーが違うためもありますが、実に吾が輩たちが求めていたメーカーでも、用途別に新製品を出していたようにございます。そのメーカーとはこれ
なん、Dr.Beckmannという会社で、日本でも製品が販売されておりますぞ。ただ、用途別(これはついたシミの性質別と言ったほうがいいかもしれま
せぬな)の製品のほうは吾が輩とんと存じ上げませなんだが、ロゴマークで間違いのないことを確認し、さっそく買い求めました次第。あとは待ち合わせ時間に
間に合わせるべく、通りを逆走したのは言うまでもありませぬ。
どうにか六時ちょっと過ぎには間に合
いまして。あとは義妹のお友達を待つばかり。お友達はどうも遅れていらっしゃる様子でございますが、そこは女性。お出かけの支度に手間のかかろうことは、
吾が輩十分承知しておりますゆえ、多少の遅れなどに目くじらを立てたりはいたしませぬ――それがこそ、紳士のたしなみと度量というものでございましょう。
オホン。
しかし、これまでの三日間とくらべて日の入りが早いばかりか、気温も手のひらを返したように(!?)落ち込んでおります。Tシャツ一枚きりでは寒い寒い!
実にこれこそが、訪独前に義妹が言っていた天候なのでございましょう。はやくお友達らと一緒にホーフブロイハウスに行き、あったかいソーセージでもお腹に
入れたいなぁ、などと身を震わせているところへ一人の老婆が。吾が輩ギョッとしましたところへ、お婆さん懐から封筒を取り出しましてな。察してよけます
と、吾が輩の背後には自動販売機のような様式の(さりとてボタンなどはついておりませなんだが)ポストがありましたわ。
手紙を投函してお婆さんは去り、しばらくすると義妹のお友達であるイズミさん(漢字は未確認でございます)がやって来ました。彼女は義妹と同じ25歳で、
現在はまだ語学学校に在学中とのこと。この陽光ふりそそぐミュンヒェンにあって、そのお肌の白いことったら、よほどお化粧と日焼け対策に配慮されておるの
だろうことが察せられます。
それさはておき、本日の会合にはほか にもお父さんの仕事の都合でミュンヒェンにやって来たアヤカさん21歳と、イスパニアはカタロニア地方からやって来た、お医者さまを志す身長2mの美丈夫 マルコ君が同行するはずでしたが、アヤカ嬢はお住まいが郊外にあるために遅れており、またマルコ君は取っている授業がようやく終わる頃だということで、取 り敢えず吾が輩一行が先にホーフブロイハウスにて席を取っていましょう、ということになりました。となれば、イズミ嬢が独りここでアヤカ嬢たちを待つとい うことになるのですが、それでも心配要らないというのが、ミュンヒェンの治安の良さを物語るのではないでしょうか――え? それでは騎士道精神にもとる? ご尤もごもっとも。まことに左様でございます。しかしですな、吾が輩がここに独りにてアヤカ嬢らをお待ち申し上げても、お互い面識がありませぬゆえ、すれ 違いで終わってしまうこと必至であり、また市街の道筋にもまだ不案内でしたから、ここはイズミ嬢に全権を委任させていただいたわけでございますわ――ま、 これではとてもで言い訳にはなりますまいがな。ああ不甲斐なや……。
さて、気分を切り替えましてこのホー
フブロイハウス。もともとは王室直営のビール醸造所でありまして、それが一般開放されて現在のようなビアホールになったそうでございます。一階は普通のビ
アホール、二階はレストラン形式になっておるそうです。一階の中央にはオーケストラ・ボックス――というよりは生バンドが陣取り、店の外までそのにぎやかな演奏を勇壮に響かせておりました。吾が輩一行は奥まった一角に空いている席に座を占め、イズミ嬢らお友達一行を待つことにいたしました。
お友達一行は差ほど待つこともなく無事に姿をあらわしてくれまして、まずは初お目見えの挨拶をば。アヤカ嬢は細面で切れ長の目をお持ちで、ミュンヒェンっ
子ならばいかにも東洋人といった印象を受けるであろうと思われました。化粧っ気も少なく、義妹と同じように健康的に陽に焼けておりましたわい。イズミ嬢は
目許パッチリ、やや彫りが深いと言えるお顔立ちでありますが、それでも東洋人では、の範疇ではあります。
そして美丈夫マルコ君はまさに痩身長躯という言葉が似合う、笑顔の絶えない好青年であります。彼はマヨルカ島の生まれで、比較的小柄な人が多い南欧出身し
ては珍しい背丈ではないかと思われますな。マルコ君はそのマヨルカにあるホテルのオーナーの御曹司で、ドイツ語を学んでいるのは医者になるためと、なかな
か見上げた心意気ではございませぬか。眉太く鼻梁高く、そして手の甲には薄からぬ毛が生えております。さすがはラテンの血。
さてこれで一同顔をそろえましたの
で、まずは乾杯から。みなさんほとんどアプフェル・ショーレを注文する中、吾が輩だけビールを頼みました。なにしろこちらのお手製のビールということで、
ご賞味させていただかぬわけにはいきませんでな。して、つまみはフランクフルト・ソーセージとザウアークラウトの付け合せをそれぞれ一皿づつ。あとはお腹
の具合に応じて追加することにいたしました。
イズミ嬢とアヤカ嬢は遠慮されているのか、それとも生来から小食なのか、あまり食が進みませぬ。マルコ君はすでに夕食を済ませてあるということで、もとよ
りお皿には手をつけませぬといった具合。食べるは吾が輩一家ばかりなり、というわけではございませんでしたが――とまれ、お友達とのお話の中で得られまし
た情報を、いくつか披露をば……。
マルコ君はお酒もタバコも一切やらな
いという、ドミニコ修道僧のような清廉さを自らに課しておられるとのこと。その何故は、人の健康に携わる職業につくのだから、自分から健康を害するような
ことは避けるべきである、という持論を貫いているからだそうでございます。なかなか頭の下がるお話ではございませぬか。次なるはアヤカ嬢でございますが、
先にも申し上げました通り、お父さんのお仕事の関係でミュンヒェンに来たのでありまして、ドイツ語の素養はもとよりなかったそうでございます。それでも、
三月もドイツ語に囲まれて生活しておりますと、自然と言葉が判ってくるようでございますわ。もちろん、いまでは日常会話なんぞはお茶の子だそうでございま
すぞ。
して、イズミ嬢なのでございますが、イズミ嬢は申し訳なくもテーブルの端に座を占める形となってしまいましたわい。同列である吾が輩との間には従姉が座
り、なによりお向かいが、さすがはラテンの血がそうさせるのか、お喋り好きのマルコ君が座っておりますので、イズミ嬢は彼の聞き役にかかりっきりとなって
しまったのです。それでも、たまさか話の輪には加わっていただけたのですが、それでもご自身のお話はお伺いできませんでしたわい……まこと、残念至極にご
ざいます。
さて、吾が輩おトイレに立ったついでに、ホーフブロイハウスの中を撮影してみました。かなりブレた写真になってしまったのですが、デジカメを向けると皆さん陽気に応えてくれたのは、たとえアルコールが入っていたからとて吾が輩うれしかったですぞ。
ささやかな宴も十時過ぎにはおひらき
になり、吾が輩たちはホーフブロイハウスをあとにしました。イズミ嬢らお友達は、これからディスコに繰り出すか、あるいはカフェーで歓談にひたるか、とい
うご予定のようです。吾が輩たちはもちろんホテルに帰ってオヤスミでございます。新市庁舎前に出るまでに必ず通る、通称
“おみやげ通り”
のとあるお店のショーウィンドウをちらと見遣ってみますと、おお、ここにも刃物屋さんがありまして、飾られておりましたわ。スウィッチ・ブレイドが。う〜
む。してみると、これはドイツでは本当に法に触れない品物なのでございますかな?
しかしここのお店、大きさはほぼ同じでありますが、ノイハウザー通りにあったお店よりも3DM高いですな。
吾が輩たちはマルコ君らと別れ、S−BAHNでローゼンハイマー通りへ。ちなみにマルコ君は踊りが非常に巧みだそうで、やはり愛と情熱の国、イスパニアの
伝統の魂を感じずにはおりませなんだ。妹はいったんはホテルに戻りますが、そこで着替えてちょっとだけマルコ一行(東方見聞録ではありませぬぞ)と合流す
るとのこと。吾が輩は明日への英気を養うべく、しばしの休眠でございます。
1999.8.21 (C)Mephistopheles von Muenchhausen