ほらふき男爵の“世紀末ドイツ旅行記”
第三日目
7月4日(日)
7月4日(現地時間AM06:00ごろ)
今朝は8:20のザルツブルグ行きの 列車に乗り込まなければいけないので、吾が輩もちと早めに起床しました。朝食を摂る時間も惜しいので、一同揃ったところですぐさまS−BAHNに乗り込 み、ミュンヒェン中央駅へ。まず駅の中の銀行で、オーストリア通貨のシリングに換金し、そのあと地下のパン屋さんで朝食を買い込みました。これを、列車の 中でいただくという寸法。さてオーストリア通貨シリングは、ちと言葉は悪いですがオモチャの子供銀行みたいなドイツ紙幣よりも、造作が細かくてやや見栄え がしますな。
今日も朝から日差しは強く、空は抜け
るような蒼さでございます。窓外の光景を眺めながらドイツパンのサンドイッチを頬張り(ドイツパンはたいてい皮が硬いので、しごく吾が輩好みなのでござい
ますが、それが逆に家族の者には不評でございました)、吾が輩しみじみ『ドイツっていい国だなァ』などと漠然と感慨にひたってしまいましたわい。
できれば本当に、きちんと言葉をおぼえて永住したいという考えまで起こり、さすがに吾が輩は心からドイツ人なのだなぁ、ということを実感した次第でございます。
この列車は国境を越える長距離列車ですので、しばらくすると車掌さんが検札に来ました。この車掌さん、吾が輩のご先祖さまよろしく襟足のところで髪をちょ
んと束ねましてな、おまけに耳にはピアスですわ。仕事さえそつなくこなせば、あとは見てくれなぞ頓着しないという風土もまたよろしいですな。ちなみにドイ
ツでは、ピアスはファッションという意味合いよりは、どちらかというと勇気の証のようなニュアンスがあるそうで――それだとどうも、ゲルマーニア以来の、
ババリアの風習を臭わせますなぁ(嘆息)。
さて、左手にキーム湖を望めるように
なると、そろそろオーストリア国境も近うございます。そうなると景色の牧歌的ななかにも、建物などの様相が変わってくるのが判りますな。そう、なんと言い
ましょうか。いわゆるチロル的な家屋とでも言いましょうかな(つまり、三角屋根で二階にベランダがあるような家)。
そうして、およそ二時間ほどでザルツブルグに到着いたしました。ビルの少ない、静かな街のようでございます。駅舎を出ると、どうやら駅前は再開発中らしく、あちこちにビニールシートの幕が張られており、ビルがまばらなのはそのためかと思われます。
丘陵地帯、というか山がちな地域なため、街自体は小さく横長にできているようにも見受けられましたな。で、吾が輩一行はトロリーバスに乗り込み(ここでも、形式はドイツと同じ連結車両でありました)、目的地のホーエンザルツブルグ城の麓へと向かいました。
ここはモーツァルトの住んでいた家もあり、街は小さいながらも見所は沢山あるというお得な場所で、まずは教会か ら見学してみましたぞ。ちょうどミサが終わった直後らしく、吾が輩一行も入ることができました……が、吾が輩不遜にもベレーをかぶったままでしてな。神父 さんに無言のお咎めをいただいてしまいましたわい――して、お次はいよいよホーエンザルツブルグ城に登るのですが、吾が輩どうにも目が痛い。何故かと申し ますと、どうもサングラスが良くないらしいのですな。なにせかなり前に購入したので、サングラス部分は紫外線をまったくカットしないので(この場合、黒い ガラスが目に集中的に紫外線を集めるので非常に良くないらしいですぞ!)、日陰に入ると文字通り視界が真っ黒になって、なかなか目が慣れないのですわ。こ れは辛抱たまらんと、似たようなデザインのサングラスを購入しましたわい。もちろん紫外線をカットしますし、なにより値段が安い(何シリングかはつとに忘 れてしまいましたが、確か日本円で千円とちょっとであったと記憶しております)のが嬉しいではありませぬか。さっそくかけ替えて、吾が輩まさに目からウロ コが落ちましたな。視界は良好で、かつ暗がりに入ってもほとんど明暗の差をおぼえません。こりゃいい買い物をしたわい、と吾が輩上機嫌でケーブルカー乗り 場へと急ぎました。
義妹は冬に一回来ておりまして、その
ときは寒い中、急な坂道を徒歩で登って難儀したそうですわ。確かにケーブルカーに乗ってみて、こりゃなまじっかの斜度ではないわい、と実感しました。上の
駅に着き、さあ内に入るぞと城を見上げると、さてもよくここまで石や資材を運んできたわい、と驚くやら呆れるやら。こりゃちょっとやそっとの大きさではあ
りませんぞ。
このホーエンザルツブルグ城、もともとはザルツブルグの司祭の住居であり、規模も簡単な砦といった程度であったようでございます。しかし時代と近隣諸国の情勢の変化から武装化を余儀なくされ、戦闘重視の城砦へと姿を変えたそうですわ。
『これ、昔は手すりもなにもなかったのかな?』という恐ろしげな階段を上って城砦の門をくぐり、入ってみればそこは白壁に囲まれた砦の中。見た目ですと、
どこかスペインの裏路地という観も、なきにしもあらずな景色ですな。いちおうぐるりを回ってみますと、外人の女の子が、恐らくはかつて投石器(カタパル
ト)で使われた丸い石弾の山の
上に登って遊んでいたり、小さな聖堂があったり、この高い頂上からどこまで掘ったのか、井戸があったりといろいろ施設がございます。でも、やはり見学コー
スを見ないことには、このホーエンザルツブルグ城は語れますまい。ここではやたらに長い携帯電話のような説明機を貸してくれて、これはドイツ語、英語、そ
してやはり日本語でそれぞれ解説が聞けるというスグレモノでございます。各部屋に番号がふってあって、その番号を押すと、部屋に見合った説明が流れてくる
という仕掛け。ホーエンザルツブルグ城の成り立ち、獄舎、らせん階段、城壁内の通路、謁見の間などなど、それぞれの詳細な解説を、その機械が教えてくれるわけですな。ただ惜しむらくは、こちらが見学している時間と、説明にかかる時間があまりに違うので、ほとんど途中で切り上げてしまったのが実際でしたが。
見学の中途で、一度コースは屋上に出ます。もちろん四方がはるか見渡せ、吾が輩もサラミのような説明機を脇に抱えつつ、写真を撮らさせていただいた次第です。
説明機のコースが終わると、階段を降りて今度はなぜか武器の博物館へと続きます。ふと見ると、その部屋にはどうやら第一次世界大戦のオーストリア軍の様子
を描いた絵が何枚か展示されております。『他の時代はないのかな?』などと考えているうち、反対の部屋から養父どのが吾が輩に呼びかけます。何かと思って
行ってみれば、そこにはなんと!!
『こ、これは国防軍の兵士と下士官ではないか!』
国防軍、と言うより第二次世界大戦当時のドイツ陸軍と表記したほうが、お客様がたには得心がいただけるのではと思われます。確かに、当時オーストリアは大
ドイツに併合されておりましたので、制服はドイツのそれに準じていてもおかしくはないのですが、それにしてもここまで義理堅く、マネキンに着せて展示する
こともないでしょうに――それとも、ナチスはとどのつまりドイツの所産で、われわれオーストリアは不幸な関係者でしかないよ、という意でありましょうか?
にしても、壁にはパンツァーファストやパンツァーシュレッケなどの対戦車兵器も飾られ、ほかにもPk98小銃やMG34重機関銃、迫撃砲まで展示されています。もちろん、吾が輩がカメラ小僧に変身したのは言うまでもないこと。そして、博物館は階を下がるにつれ中世へと時代をさかのぼり、剣をはじめモーニングスター、槍、短筒、果ては貞操帯などまで展示されておりましたぞい。
すっかり堪能して博物館を出ると、さてお腹が空きましたわい。ケーブルカーで街に下りて、少しだけ教会の檀家(!?)のお墓を見物しつつ(いわゆる十字架の墓石が多いのですが、おそらく寄進が多かった家は、鉄柵の設けられた壁面にレリーフ状の装飾を施した豪華なものを作れるようですな)、往来へと出て行きました。
時おりしもお昼どき。往来は人でごっ
た返し、レストランも店先から覗いてみますとおおよそのテーブルが埋まっておりますわ。モーツァルトの家の前をまずは腹ごしらえと通り過ぎ、さてどこに
入ったものかと考えまするに――おお、ここにもありますわ、マクドナルド。旅先での味覚を楽しませるのにはどうかとは思いますが、なにせ広くもない(ザルツブルグの皆様、申し訳ございません!)往来に限られた店舗しかないので、旅程を予定通りに消化するにはいたしかたない選択ではありました。名にしおう
“ファーストフード”
のパイオニアであるかの店であれば、手早く食を済ますことに如何ほどの簡便なからん。ということで、それぞれビッグマックセット云々を注文し、お腹を満たした次第にございます。
さすがに全世界を股にかける世界企業マクドナルド。ジュースにはちゃんと氷が入ってございましたな。しかしここでもドイツを如実に感じたのは、ハンバーグの味に昨日のケバブと同じものを知覚したことですかな。何と言いますか、独特の甘味とでも称しましょうか、いわゆる
“ドイツ牛”
としてのうまみが、口の中にわっと広がるのでございます。
ちなみに料理屋とはなんの関連もないのですが、ドイツのおトイレ(もちろん紳士用ですぞ!)は、日本で言ういわゆるかつての
“朝顔”
というよりはチューリップのようなものが並び、それはただ受け皿としての機能しかないので、お隣さんからイチモツが丸見えになります。で、店によっては中
にネットが張られておりまして、これが落し物防止なのか、なにか衛生的に効果があるのかは知る由もありませんが。
昼食のあとはモーツァルトの家の見学です。往来に出ると、食事前からチロル風の民族衣装を着て操り人形を実演販売し
ていた女性が、相変わらず道々の観光客相手に愛想をふりまいております。みれば背中に英語で、『私はウィーンから来ました』というカードを貼り、見た目も
しごく簡素な作りの人形をカタカタ操っています。特に立ち止まったり、目をとめる観光客もなく、吾が輩が見ても『ありゃそうは売れんぞ』と思わざるを得な
い人形を、彼女は懸命に動かしています。そのとき吾が輩思いましたな。
『可哀想に。あれを売って帰らないと、こわい親方に棒でぶたれるんだろうな……』
と。もちろん思っただけで、買う気はまったく起こらなかったのは言うまでもございません(笑)。
モーツァルトの家は
一回見ていると言うので、義妹はチケット購入の手続きをするとどこかへ散策に出てしまいました。そうなると、もはや説明文があってもガイドしてくれる人が
いなくなってしまうのですが、吾が輩一行運がよろしい。どこぞの日本人観光ツァーとはち合わせましてな。さりげなくその後について解説を聞いて回りました
わ。さっきまで見かけなかった面々が、なに食わぬ顔でついてくるので、ガイドさんがたまさか嫌な目で吾が輩たちを睨めよりますわい。ですがこちとらも、受
付できちんとお金を払って見学しているので、別にペースをそちらと外して見なくてはいけない道理はありませんからな。後ろからはアメリカの団体が迫ってき
ていましたし、まぁ成り行きと言うやつですわい。
とはいえ、モーツァルトの当時の暮し向きには、吾が輩あんまし感興が湧きませなんだ。ただ家の造りが、日光の少ない冬でもなるべく光を摂り込めるように、
建物の中央に吹き抜けを設け、そこの内壁に光を反射させるという工夫がなされている、という説明は感心しましたな。これはなにもモーツァルトの家に限った
造作ではないらしのですが、その土地その土地において建築にはさまざまな創意があるのだなァ、と思いましたぞ。
妙なところに感銘を受けつつ家を出て、散策に行ったきりの義妹を待つことしばし。帰ってきた義妹は橋のむこうを見てきたようで、『あすこにカラヤンの家があるみたいよ』とのこと。なぜそれが判ったかと尋ねますと、メキシコ系の観光客がある家を指差し、
『La casa de Karajan
!』と言っていたらしいのですな。それはさておき、女性陣はおみやげを何か買いたいと露店めぐりを始めます。養父どのは少々バテぎみで、路肩の日陰に座っ
てお休みです。吾が輩は女性陣についてっておみやげを物色するふりをしておりました。
養母どのはなぜか魔女とかが好きで、このホウキがいいとかこの服装がいいとかあれこれ品定めをしております。吾が輩はただのひやかしですから、チロル服の
熊の人形のお腹を押して、いきなり素敵なヨーデルを奏でられてびっくりしたり、別にザルツブルグで売らなくてもいいような、眠るトラやチーターの人形とか
を見ていましたわ。
養母どのの買い物が終わり、吾が輩一 行は橋を渡ってまずいわくつきのカラヤンの家を訪れました。とはいえただ家の前に立っただけでしてな、すぐさまモーツァルト第二の家に移動しましたわい。 それにしても、ザルツブルグはよほどハイテクが好きなのか、それとも経費節減か、モーツァルト第二の家でも説明機が渡されましたぞ。今度のはかのジーメン ス製ですが、ホーエンザルツブルグ城の物とは打って変わって古めのトランシーバーと言った形状でした。こちらもやはり、部屋をめぐる速度と説明の長さが釣 り合わなかったのはご愛嬌、というところですかな。ちなみにこちらの家は、フラッシュなしでも撮影自体が禁じられておりましたわ。
第二の家をあとにして、次は庭園を 見学です。庭園ですから、景観を眺める以外は何もないのですが、ま、言葉は悪いですがついでということでぶらついてみました。しかし、振り向けばそこには 山の上にホーエンザルツブルグ城があるではありませんか。やや遠めですが、景色としては決して悪くはありませんな。2倍ズーム以上の望遠機能があれば なぁ、と思いつつ、吾が輩デジカメのシャッターを切りましたわい。
庭園めぐりの締めくくりは、入り口側 のカフェーで休憩です。さしもに今日は歩きましたわ。舗装されていない道が多かったので、吾が輩のエンジニア・ブーツは粉を吹いておりますぞ。ま、これは ホテルに設置されている自動靴磨き機できれいにすればいいことですが、参ったのはかかとの補強ゴム(かかとが斜めに削れないように小さな釘でうちつける) がすでに取れかかっていることです。まだ新調して三日ですので、ゴムがやられたのではなく釘の頭が摩滅してしまったのですな。ゴムはまだ使えますので、無 くすくらいならばと意を決して吾が輩取ってしまいましたわ。あとは日本に帰り、かかとに埋まった釘をほじくり返すのが難儀なのでございますがな。
帰りはやはりトロリーバスに乗り、ザ
ルツブルグ駅に。入り口に小さなおみやげ屋を見つけ、女性陣はとりあえず物色になかに入ります。吾が輩は外でウィンドウを眺め、養父どのは身障者用エレ
ベーターを見つけてしげしげと観察しています――と、そこへ何やら苦しげな息遣い。振り向くと、そこには暑さで完全にへばったブルドッグ先生が、まさに大
の字にぺったり床に貼りついています。若い飼い主は焦りながら吾が輩を押し退け、店の人に頼んで水をもらってかけてあげてましたが、それくらいでブルドッ
グ先生は元気になりませんわな。せめて真鍮のヤカンでかけてあげればなぁ、などと考えつつ観察しておりますと、どうも彼ら主従を待っていたらしき中年夫婦
が迎えにやってきました。
夫婦は再開を喜ぶとともに、ブルドッグ先生の容態をひどく心配している様子であります。飼い主はなにごとかブルドッグ先生をなだめすかし、あるいは叱咤し
ておりましたが、結局中年夫婦と一緒に歩き始めましてな。ブルドッグ先生、そうなっては詮方なしと、満身の力をふりしぼって立ちあがりましたわ。けなげな
ブルドッグ先生の体力がどこまでもつかは知る由もありませんが、なによりも吾が輩気になったのは、ショーウィンドウのビーバス&バットヘッドをモーツァル
トとショパンでパロったTシャツでございましたな。
まだ出発には時間があり、ホームには
列車すら到着しておりませなんだ。座ろうにもベンチは駅舎の近くにしかないので、一同ぼんやり立っていましたところ、少し離れた場所に荷運び用の大きな台
車があります。そこに吾が輩らと同じ観光客であろう親子連れが、座ったり寄っかかったりして休んでおりますので、吾が輩を除く家族一同もそれに倣わせてい
ただきました。で、吾が輩なにをしていたかと申しますと、向かいのホームに昔なつかしい蒸気機関車――もちろん、吾が輩には名前も形式も判りませぬが、どうやら親方が指導し、助手が石炭をくべて蒸気を起こしている様子でございます。
機関車正面の連結器部分には、銀河鉄道999よろし60周年記念とおぼしきプレートが飾られておりますれば、察しまするになにかの記念式典があり、そのた
めの試運転かも知れませぬな。ともあれ、吾が輩実働の蒸気機関車を見るのは、あるいは3〜4歳ごろに連れていってもらった明治村の1号機関車(でしたろう
か?)以来と思われますな。
しだいに機関部から、その全体に血を通わせるかのような蒸気の噴出音が洩れはじめ、やはりこの機関車は動くのだ、と知れるや、吾が輩の心臓もそれにあわせ
て鼓動を早めていきよります。まだ煙は吐きませぬが、機関部はすでに準備段階に入ったようでして、低く小さくゴウゴウと音を立てているように思われます。
気づきますと、ヨーロッパにもいるんですな、鉄道マニアが。望遠レンズ付のカメラ片手に、今か今かとシャッターチャンスを待ち構えております。して、機関
車に力が漲ってきているのは確実のようでございます。それを証明するかのように、突進する前の雄牛が土を掻くしぐさよろしく、ピストン部分から真っ白な蒸
気をひと吹きしましたわい。いつしか煙突からは薄茶色の煙がほそく立ち昇り、それが濃く黒く、そして太くなりますと、警笛一声するどく鳴らしたものです
わ。
さらに二度ほど出発の雄叫びをあげると、主動輪がゆっくりとまわり始め、それにつれて後続の客車の連結器が、ガシャンと賛同の歓声を返します。おお、動い
てる、動いてる!――吾が輩すっかり感動し、そしてしっかりシャッターチャンスを忘れておりましたわ。機関車は雄雄しく客車を引き、さよならの挨拶代りに
長く尾を引く警笛を残し、ザルツブルグ駅を出発していきました。そして、吾が輩目の前を去りつつある客車を見て、ふと窓の上になにやらいろんな都市の名前
が書かれているのに気がつきました。その中のひとつにあった都市名は、イスタンブール――もしかして、これはオリエント急行ではありますまいか?
図らずも、吾が輩オリエント急行を肉視することができたようでございます。
オリエント急行は東へと去り、西に帰る吾が輩一行の列車はまだ着きませなんだ。やがてやって来たドイチェ・バーンの列車、おやおやどこかで見たことがございますぞ。どうやらこの一連の車両、同じ鉄路を日に何往復かしているようでざいますな。
行きもそうでしたが、帰りの車内も空いてまして、吾が輩それに乗じて、着た時と逆の側のワンボックスを占領させていただきましたわ。一同みな疲れているの
か口数も少なく、やがて眠ってしまいました。吾が輩もブーツを脱ぎ、向かいの席に載っけて休足させてやり、窓外の眺めをなんとはなしに見遣っておりまし
た。すると、とある駅で一人のうら若き少年が、家族、あるいは親戚の老若男女に送られて乗り込んで来ました。
少年は年の頃17〜8歳。あるいはもっと若いのかもしれませぬ。吾が輩と同じようにワンボックスを占領し、ややニヒルな目で窓外に目を向けております。さ
て、彼の素性とはこれなん――久しぶりの休暇でギムナジウムから実家に帰り、ふたたび寮に戻らんとしているところ。あるいは単純に親戚のうちに遊びに来て
いただけ。あるいは立身出世(その端正な見てくれから察するに、俳優など)を志し、熱烈な家族の送り出しに惜別の情を覚えつつ、後ろ髪ひかれながらも都会
へと発たんとしているところ――などなど、勝手な想像をしてみたものでございます。と思ううちに、次の駅でオリエント急行と再会。ヨーロッパ大陸を横断す
る列車が、このような鄙びた駅で何をしているのかは判りませぬが、吾がドイチェ・バーンは彼を追い越し、一路ミュンヒェンへと急ぎます。
帰りの旅程が半分ほど消化できたあた
りで、急に車内は混雑してきましたわ。吾が輩も長い脚を引っ込めて、他のお客さんにもスペースを提供しました。最終的に、隣に義妹、向かいに品の好い初老
の女性、その隣にいかにも農夫といった感じのおやじさん、てなラインナップが揃ったわけですわい。吾が輩席は空けましたが、ちょいと足のむくみがとれない
ので、片膝立てのあぐらのような、ちと珍妙なスタイルで座っておりました。
やがて市街に近づくにつれ、降りがけにあたふたするのもなんですので、吾が輩ブーツを履いておくことにしました。まずは右足から……と、これが足首から先
がまったく入らないのでございますよ。『あれ、そんなに足がむくんじゃったのかなぁ』吾が輩焦りましたわ。まさかブーツ片手に、ミュンヒェンの街を歩くわ
けにもいきますまい――無理無理押し入れようにも、ブーツはまるで吐瀉寸前とばかりに足首を受け付けません。向かいのおばあさんも気遣わしげな目を吾が輩
に注いでいます。どうしよう――と思っているところへ、吾が輩ピンときましたな。ブーツの爪先を見ると、カーブがちと逆方向に弧を描いてますわ。で、もう
一方のブーツを取って足を入れると、こっちはすんなり受け入れてくれましたわい。義妹は笑う。向かいのおばあさんもクスクス笑う。吾が輩、思わぬところで
エンターティナーとなってしまいましたぞ(笑)。
ミュンヒェン中央駅に到着し、夕飯にするにはちと時間がある、というので吾が輩一行は駅周辺をちょいとうろついてみることにしました。と言うよりは、義妹が従姉に化粧品を見立ててもらうというのが主眼ではございましたが。
そうなると、吾が輩などはただの従者以下でしてな。女性陣がどこやら吾が輩の存じ得ぬブランド(至極有名どころらしいですがな)の売り子さんと、あれやこ
れや問答をかわしている間、吾が輩欲しくもないスウォッチのショーケースの前で暇をつぶし、ついでにあくびも噛みつぶしておりましたわい――女性は化粧も
長いが買い物も長い。これは終局的に人類永遠の真理となりそうですな。で、買い物の終わりどきが夕飯どき。ホテルに荷物を置いてから、今夜はホテル向かい
の建物にある
“金魚楼”
なる中華料理屋さんに入りました。中華料理とは言うものの、義妹が申すにはこちらの経営はベトナム系の方がなさっておいでで、“中華風ベトナム料理”
と考えたほうがいいとの事。
義妹のおすすめは、酸っぱ辛いスープ(これは正式名が判りませなんだ)。これは確かに美味でございましたな。それで、中華料理ということなので日本のノリ
で一人一品、各種の炒飯や焼きそばを注文したのですが、やはりドイツの店ですので一皿あたりの量が多い多い。勿体なくも吾が輩たちは残してしまいまして
な、お店の人に悪い事をしましたわ。
そうしてこうして夜もふけて、吾が輩も就寝とります。明日はJALのパックツアーでノイシュヴァンシュタイン城など、狂王ルートヴィヒU世ゆかりのお城をめぐる予定にございます。
1999.8.21 (C)Mephistopheles von Muenchhausen