ほらふき男爵の“世紀末ドイツ旅行記”
第一日目
7月2日(金)
〜 〜 男爵、故郷に帰る 〜 〜
さてさて、吾が輩ことメフィストフェレス・フォン・ミュンヒハウゼンが、故郷ドイツはミュンヒェンを訪 い、そしてどのような珍道中をくり広げてきたか、今宵吾がサロンを訪っていただきましたお客様がたも興味深々ひとしきり、というところでございましょう。 もちろん、これなる道中記を皆様にご披露いたしませぬ理由などございませぬ。その逐一を、お客様がたに読みやすいよう、日誌形式にて書き綴りしたためまし た次第にございまして、どうぞご一読あられんことを――無論、吾が輩の記す日誌なれば、多かれ少なかれ “ほら” が混じっていることは必定とおぼ思しめさるお客様もいらっしゃることでありましょう。ですが、今回は吾が輩の腹に巣食う “ほらの虫” のうずきを極力おさえつつ、見聞き体験したことのありのままを綴りましたゆえ、お目汚しとはなりましょうが、是非ともお読みいただければ、吾が輩この上な い幸いと存じ上げますわい。
それでは、まず第一日目からの始まりでございます。ごゆるりとご覧めされ――。
7月2日(AM01:30ごろ)
『う〜ん、う〜ん』となぜか寝苦しく、吾が輩は目を覚ましてしまいまし
た。記憶はさだかならざれど、なんだか気味の悪い夢を見たのか、あるいはいよいよいまだ見果てぬ故郷の土を踏めることに極度に興奮したか、とにかく吾が
輩、ふたたび眠りの淵にまどろむこともままならず、仕方なしに部屋の蛍光灯を灯けました次第ですわ。
時計の表示は一時半過ぎ。吾が輩はおのが目を疑いましたぞ。たしかに吾が輩は、勤めている会社の始業時間が正午なので、夜は三時ごろに床に就き、朝は九時
か十時ごろに起きるのを平素の日課としてはおりますれど、今回は五時には起きて旅行準備の総点検をせねばならぬ身なれば、早い就寝が肝要と前日は夜の八時
から、故郷をしのびつつビールをあおり、午後十時にはごろりと横になった次第。500ml缶を三本の計1.5リットルを胃の腑に流しこみ、計算では朝の四
時にはスッキリ目を覚ますはずでしたのですが――ま、これなるはバッカス神が吾が輩に極端にみじかい熟睡を与えたもうたのでありましょうか?
それにしては顔は真っ赤で目の充血具合もそれに劣らず、脳味噌はぼんやり思考もままなりませぬ。つまりアルコールは一向に抜けていない状態であります。こ
うなると再度眠ろうなどという試みは、最早ムダ以外のなにものでもないことが吾が輩の身体の特徴でありまして、あと三時間あまりの望外の余暇を、吾が輩素
直に読書の時間にあてたのでございます。
人間と言う生き物は奇妙なもので、時間を持て余している
ときには早くそれを消化することを求めるくせに、出発の時刻が近づくにつれ、やれ戸締りだ、持っていく日用品や服などの点検だとやたらにそわそわし始める
方も、お客様がたの中にも少なからずいらっしゃるのではございませぬか?
恥ずかしながら吾が輩もご多聞に漏れず、空が白みはじめ、ひんやりとした早朝の風の中に小鳥たちのさえずりを聴くと、俄然気が急いてひろくもない部屋中を
うろうろしはじめたものでございます。もちろん、所持品チェックは前日に念入りに終わらせていましたから、それこそムダの極みというものでございますが、
そうでもしていないと間がもたないというのも、大事を前にした小心者の、ひとつの真理と言うものではありますまいか――。
そうこうするうちに時は流れ、いよいよ準備万端ととのった吾が輩は、リュックサックや意外に着替えの多く詰まったバッグ(これが短い取っ手のうえに肩掛け
用の帯をなくしておりましてな、道中けっこう難儀しましたわい)と、足にはエンジニアブーツにブーツカットのGパン、黒のTシャツと頭にはUNTACの水
色ベレー(バッジはCRASS(これはご存知ないお客様も多うございましょう)の反戦バッジと、"The
Clockwork
Orange"のロゴバッジがついている)といったいでたちで、『使えないバッグだわい』などと悪態つきつき、それでもいそいそと駅に向かったのでした。
さすがに朝の六時前と言うだけあって、ホームは平素と
打って変わって閑散としておりました。でも、そこは新玉川線。夜九時を過ぎればまさに殺人的な混雑を見せるだけあってか、やってきた渋谷行き列車は、席の
空きこそまばらなくらい人が乗っておりましたわい。『彼らは仕事に行くために乗っているのであろうかな?
こんなに早く』とは、吾が輩の抱きました感想でありますな。吾が輩几帳面な性格ゆえ、ちと予定時刻より早めに駅に着きまして、つれづれにそんなことを考え
ておりましたわい。
その次の列車こそが、吾が輩の養父どの母と待ち合わせたやつでありまして、ホームにつくやいな、吾が輩が左右を見回していると、列車中央ではなくて思った
より後部のドアから親父どのが顔を出し、吾が輩がそちらに向かおうとすると、『早く乗れ!』と言わんばかりに手を振るではありませんか。慎重と申します
か、いやはやいつまでも吾が輩を子供扱いと言いますか、口をへの字にしての乗車とあいなったわけですわ。
渋谷に着くと、今度はJRに乗り換えとなりまして、そこ
で従姉のお姉さんと合流となりました。この従姉はかなり旅慣れたお方でして、英語はおろか母国語さえできぬ吾が輩一家においては、ドイツに着くまで貴重な
パーサー様として活躍してくだされました。なにせハワイ、アメリカはおろか、ヨーロッパはフランス、イギリス、ノルウェーまで足を運んだことがあるという
のだから、頼もしい限りでしたわい。……ただ、彼女を
“お姉さん”
と表記するに、吾が輩いささか躊躇がございましてな。なにせお年が、吾が輩よりも母者のほうにより近いという――おお、ご婦人の年齢にふれるのは、紳士と
して失礼この上ないことにございますな。お客様がたも、ここは読まなかったことにしておいてくださいませ。これは失言失言。
オホン。さて、渋谷でE電(by
小林亜星)に乗り換えた吾が輩一行は、そのまま外回りで日暮里へと向かいました。E電もさることながら、新宿や池袋といったターミナル駅にも、朝もはよか
ら沢山の人出がありましたわい。まこと、日本人というのは仕事熱心でございますなァ。そんな感想を漏らした吾が輩に、従姉から帰ってきた一言。『でも、ホ
ワイトカラーは極端に少ないよね』と。さすがの観察眼に、吾が輩も舌を巻きましたぞ。“亀の甲より年の功”
とは、よくも言ったもので――おお、またもやの失言、ご無礼をば。
そんなこんなで日暮里に着き、さていよいよ成田に向かう
わけでございます。京成側のホームに入ると、そこは吾が輩たちと同じく、海外旅行に胸を躍らせるお仲間たちが、スカイライナーの到着をいまや遅しと待ち構
えておりました。が、やはり早朝からの出発のためか、皆々さまどこかお疲れ顔が見え隠れ。ほんに海外旅行とは、いろんな意味で大イベントなのだなぁ、など
と自分を含めて嘆息したものでしたわい。
また一方で、ここ日暮里こそが、吾が輩と養父どのにおいて、およそ半日にわたる試練の始まりの場所なのでございます。それはなにを隠そう、“禁煙”
の二文字なのでございます。そう、ここからは空港の喫煙コーナー以外では、まったく煙を喉に通せなくなってしまうのでございますわ。それも半日とあって
は、まったく気の遠くなるような時間の空白でございます。吾が輩と養父どのは、しばしの別れと下のホームに降り、中央よりの一角に申し訳なさげに設けられ
た喫煙コーナーにて、名残を惜しみつつひと吸いした次第にございました。
スカイライナーに乗り込みまして、吾が輩一行は養父どの 母の用意したパンで軽い朝食を取りつつ、東京の下町を通り過ぎ、列車の窓越しにも土の匂いの届きそうな千葉の田園地帯を抜けて、吾が輩一行は成田へと到着 しました。養父どの母は二度目なれど、吾が輩はこう見えても海外旅行は初体験でございましてな。従姉をはじめとする三人に導かれるままにルフトハンザへの 搭乗手続きを済ませ、さて一時間ぶりの喫煙とばかりに喫煙コーナーに向かおうとしたその刹那、吾が輩の耳に、珍妙なるアナウンスが飛び込んでくるではあり ませんか!! それは、吾が輩の戸籍上の登録名を呼び、〇〇番カウンターに来てくれと連呼しておりましたわい。これには吾が輩もいささか肝をつぶしましてな、『はて、な にかやらかしたか?』と訝りつつ、とりあえずルフトハンザのカウンターに名乗り出たところ、係員の方も怪訝な顔をして確認をとってくだされ、結果、『当方 ではそのような呼び出しをかけてはおりません』という返事をいただいた次第でございました。『あれはしかし、吾が輩の名前だったがなぁ』と釈然としないま ま、養父どの母の許に帰りつくと、聞き間違いじゃなかったの、という養母どのの問いに、養父どのと従姉も、確かに聞いたと返事をするので、結局は同姓同名 のオッチョコチョイが居合わせたんだろうということで落着したのでした――でもほんに、まかり間違って出国禁止になるのでは、と吾が輩ヒヤヒヤしました ぞ。
喫煙終わって出国手続きをし、さぁ持ち物検査でございま
す。ほかの三人は何のお咎めもなくスイと通り抜けたのに対し、そこは吾が輩。なにせMDは持っているわカギはポッケに入っているわ、エンジニアブーツには
鉄板が埋め込まれているわでさんざん念入りなチェックを受け、どうにか通過できた次第でしたわい。養母どのに旅の服装を再考したほうがよいとたしなめられ
つつ、吾が輩一行は免税店へと向かいました。
意外と物欲にとぼしい吾が輩は荷物番をつとめ、三人はあちらこちらの免税店を徘徊しておりました。吾が輩は持ち込み禁止である品物の展示を眺めて時間をつ
ぶしておりまして、ワシントン条約に由来する蛇や孔雀などの皮革加工品や、漢方薬(虎の骨や、肝臓などを使用した物らしかったですな)、や象牙の品々に目
をやっておりました。そこでまったく気づかなかったのは。少し離れたところに、いわゆる
“飛び出しナイフ”。英語で言うスウィッチ・ブレイドというやつですな。それが展示されていたと養母どのに後で聞きましたわい。無論、国内では所持禁止で
あることは吾が輩も熟知しておりますわ。なにせ、かつて吾が輩は若気の至りで、金物屋に入ってご主人どのと面と向かい『飛び出しナイフありますか?』と訊
いたことがありましてな。そこでご主人どのに『あれは所持禁止ですよ』と諭された思い出がありますからな。まったくもって、赤面の限りでございますわい
(笑)。
さて、目ざとくまたもや喫煙コーナーを見つけた吾が輩と
養父どのは、未練がましくふたたびひと吸いし、それから搭乗ゲートへと向かいました。その同じルフトハンザの待合場所で、チロルにでも行かれるのか、どこ
かの団体のある浮かれたオバサンが、手拍子とってステップを踏はじめよりました。で、いきなりこちらに下がってきて母者の足を踏みつけにしたのですわ。こ
うなると、ここは日本人でありますな。あやまるオバサンと、痛いけど出発間際に悶着は起こせないから『大丈夫』と答える以外にない母者。ことを大きくしな
いで去るにしくはなし、と吾が輩一行は咎めだてもせずに歩き去るなか、吾が輩だけはそのオバサンに一瞥をくれてやりました。それは怒りではなく、軽蔑と冷
笑をほどよくミックスさせた氷点下の視線でした。プラスαで、彼女らの道中に災いあれ、と呪詛をこめたのは、まぁ当然と言えましょう(そうかな?)。
そんなこんなで、またもや喫煙コーナーを見つけてひと吸いし、しばしの時間を待っていよいよ搭乗とあいなりました。ドイツ直行便だけあって、やはりドイツ
人の利用も多いようでございますな。ここ成田から故郷ドイツはミュンヒェンをばはるかを見晴るかせば、距離にしておよそ一万qになんなんとする、ユーラシ
アの大地の果てでございますれば、さしものご先祖さまであれど、カノン砲の弾丸(たま)に乗っかっての遊覧飛行、とはいきますまい。なによりカノン砲で
は、ユーラシアはおろかその手前の日本海すら越えられないでありましょうからな。で、吾が輩たちが乗り込むはもちろん(!?)エコノミー。
成田には滑走路が一本しかないからか、離陸にはかなり時
間を費やしたように吾が輩には感じられましたな。しかし、ジャンボの加速とは、さすがお尻に重力を余計に感じられますわい。そしてまた、上昇角度の思った
より急なこと!
吾が輩たちの席は、真ん中の四席を取っていたので、惜しくも窓から、三里塚の闘争小屋を見つけることはかないませんでしたわい。さて最初の目標は、まず日
本上空からおさらばでございます――するうちに、新潟上空あたりで乱気流にぶつかり、機体が小刻みに震えつつ上に下に揺さぶられます。吾が輩ジェットコー
スターなるはかくなるものか、などと考えつつ、初体験はなにごとも興とばかりに楽しませていただきましたわい。
いかにエコノミーとはいえ、座席はさほど窮屈ではありませなんだ。しかし吾が輩のように時間つぶしにやれMDだ、やれ本だといろいろ出し入れがある者には
ちと難儀するかもしれませんな。またそれだけトレーに物を載せておりましたら、吾が輩トイレに立つのも一仕事でしたわい。
暇つぶしも、さすがに12時間ともなるとネタがつきますもので、せめて席が窓際であれば……などと考えたものであります。たとえ窓外が一面の雲海であろうとも、それでも微妙に様相を変える雲の姿を眺めてさえいれば、どれだけ心休まることでありましょう。
と、そこに後部の乗務員席をなぜか覗いてきた母者が吾が輩に申しまするに、
『うしろにあるスチュワーデスの詰め所そばの窓から、下界が見えるよ』
とのこと。吾が輩、さっそく天上界からの眺めというやつ
を拝見させていただきましたぞ。このとき、飛行機の高度はおよそ一万二千メートル。すでにアジアとヨーロッパの協会であるオベリスクは通り越し、場所的に
は早くもたしかヘルシンキあたりへと差し掛かっていた頃ではないかと記憶しております。吾が輩、雲の切れ間から見ゆるはただ森か川、あるいは湖ぐらいしか
確認できないのでは、と考えておりますれば――おお、見えまするぞ!
あれは道路のようですな。幅が何mあるのかは、いま見ている地上の縮尺をどれくらいに見積もればいいのか判らないので定かではありませぬが、せめて自動車
が見えればおおよその見当がつくやも知れませぬ。ま、それがワゴンかバスか軽かの判別がつけばの話ですがな。
興奮ひとしきりではありましたが、実はこの窓、後部ハッチの物でしてな。側近くには座席にお客さんが座っていらっしゃる。ですので、三十路を前にした青年
男子が、すごいすごいと子供のように窓外に見入っているのもどうかと思いましてな。吾が輩未練を残しつつ、自分の座席へと戻りました次第。もはや足の下は
ヨーロッパ、そう思うことにして、次はワルシャワを早く越えてくれることを祈りつつ……。
『エディ・マーフィー、いつの間にこんな映画に出てたんだろう?』
そんなこんなで、ルフトハンザのちと退屈な映画のあとは、飛行機の現在位置が長映しとなりました。はやワルシャワも過ぎ、故郷ドイツは第一目標のフランク
フルトを目指して機は進みます。そこでふと、吾が輩ご先祖さまがかつてロシアにて従軍され(トップの背景画となるトルコ軍との戦争も、実にその時の出来事
ですわい)、お役目終えて帰郷する際のお話を思い出しましたわ。ご先祖さまははるか下の大地を、吾が輩とおなじく西にむけて進まれておりました。すると前
方から、ご先祖さまと同様な二頭立て馬車がやって来るではありませぬか。然して広くはない田舎道のこと、そのうえ道の両側には茨の高い垣根がこさえられて
いるという有様でございますわ。して、おたがい避けようもないままに、挙句にっちもさっちも行かない状態に陥ってしまいました。そこで、ご先祖さまはひと
思案。結果みちびき出された妙案とは、ご先祖さまやおら馬車から馬をはずし、えいさとばかりに馬車をかつぎ、そのまま九フィートはあろうかという垣根を飛
び越えて馬車を置きましたわ。ついで二頭の馬を小脇に抱え、これまた垣根を越えて馬を降ろします……こうして、ご先祖さまは相手に道を譲り、まずは事無き
を得た次第にございました。もちろん、ご先祖さまが先へ進むには馬車と馬をもう一度道路に戻さねばなりませぬからな、さすがのご先祖さまも、二度もおなじ
手間を繰り返したのはかなりの骨折りであったと後日語られたそうにございますわい。
さて、モニターにははやわが祖国ドイツの大地が大写しになっております。飛行機もその中ほどに移り、フランクフルトももう指股の間、というところでござい
ます。やがてスチュワーデスさんのアナウンスが入り、飛行機は降下を始めました。吾が輩の心臓もいや増しに高鳴りましてな、今度は機長さんのアナウンスが
終わりますと、機は白い雲の絨毯を抜け、フランクフルト上空へと踊り出ましたわ。
しかし、ドイツの緑の多いこと。緯度的に北海道より北に
なるこの国ですが、天から見る北海道の景観もかくや、と思われるほどに、視界には街区よりもはるかに畑が広がっています。日本などですと、都市とはまず建
物の密集地があり、その中心から離れるにしたがって緑が増えてくるような印象がありますが、ドイツはまさに農耕地、森の中に、たがいに身を寄せるようにし
て街があるように見えましたな。
で、フランクフルト空港に到着いたしました。他の同乗者を尻目に、吾が輩一行はサッサと次の乗換えゲートに向かいました。もちろん吾が輩もBの28ぐらい
は進み方は判りますがな。未来的なイルミネーションに彩られたコンコースを通り(吾が輩はブレードランナーに出てきたトンネルを思い出しましたがな)、エ
レベーターで上がると、おや、そこにはどこかで見かけた面々が……ありゃ、吾が輩たちはちと遠回りしてきたようですわい。
オホン、ちなみに吾が輩の養父どのは昇降機関係(エレベータ、エスカレータ)の仕事をしておりましてな、こういった場面でやはり血が騒ぐのか、すぐに観察
を始めよりますわい。これはこの先、どこで出くわしても必ずやらかしよりましてな、ちょっと吾が輩一行のヒンシュクを買いましたわ。して、ゲートを通って
階段を降りると、移動用バスに乗り換えて飛行機へと向かいます。
おお、ドイツの晴天のまぶしいことまぶしいこと!
なにしろ文字通り、雲一つない快晴の空ですからな。お日様からは、地上のものすべてを漂白せんばかりの光が降り注いでおります。今度は国内線ですから、
ジェット機もエンジンが四発から双発になり、機体もずいぶんと小ぶりになりましたわい。さて機内に乗り込みますと、従姉の席は幸運にも窓際。しかし、お隣
は吾が輩と同世代の若者。やはり気兼ねがするのか、吾が輩と変わって欲しいと申すではないですか。何たる幸運!
吾が輩サッサとあこがれの窓際に座り、優雅に遊覧飛行と洒落込ませていただきましたわ。
さて、離陸の感覚と加速の感触は、こうした小型のほうがよりリアルに伝わってきますな。特に飛び立った直後の加重感は、『おお、かつてのMe-262(世界初の実戦用ジェット戦闘機にございます)のパイロットもかくや!』と思いましたぞ。
窓の外、眼下はどこまでもドイツ……というのは言い過ぎではありますが、吾が輩の胸のはそんな感動で満ち満ちておりましたわい。名も知らぬ大小の街々を眺
めていくうち、ふとある一角に、ひときわ私の目を引く街があらわれましてな、はてあの円形の都市は、どこで見たものやらと記憶をたどるうち、そこが円形城
塞都市として有名なネルトリンゲンであることに思い当たり、吾が輩さっそくデジカメに収めました次第。ついでとは言え、思わぬ収穫に吾が輩ホクホクでしたぞ。
そんな幸運もあったりして、機はあれよあれよと言う間に
ミュンヒェンに無事到着。上空からの様子も、降り立った見ましても、果たして千歳か旭川か、と言うのが正直な感想でしたな。相変わらずの強い日差しで、吾
が輩ついにサングラスを着用しましたわい。丸の細い黒縁でしてな、しかも素通しとの二枚重ねで、サングラス部分は斜めに持ち上げれるという優れものであり
ますぞ。オホン。
ガラス張りのモダンな入国管理室を、上野のおのぼりさんよろしくキョロキョロ歩いていました吾が輩、目の前のガラスの向こうで義妹が手を振っているのにトンと気づかず、養母どのにたしなめられてしまいましたわい。おお、吾が家族の一年ぶりの再会!
積もる話はあれどまずは一服と、吾が輩と養父どのはロビーのカフェーでタバコをくゆらせ、女性三人はベンチでさっそくおしゃべりとあいなりました。
そして、開口一番に義妹の発したドイツ人評がこちら『ドイツ人は勤勉ではない』とは……。
何でも、ドイツ人は時間外にはまったく労働する気は無いらしく、平日でも大抵の商店は店じまいなのでそうであります。これはやはり外国人にとって不便な事
この上ないそうで、最近は夜八時まで営業するようになったとか。でも、大抵の小さな商店は日曜日は完全に開けないそうですぞ。そこまで営業しているのは、
大手スーパーかデパートぐらいなものだそうですわ。
フランクフルトのイルミネーションに似たようなコンコースを通り、少し回ったところで義妹が『切符を買わなくちゃ』と申します。駅舎らしき雰囲気はいずこ
にも無く、何より改札が見当たらないではありませぬか。義妹は定期がまだ使えるからいいとして、吾が輩一行は団体、それも三日間、一定区間を周遊できると
いうものすごいチケットを購入しました(確か35DM(ドイチェマルク)ほどでしたぞ!)。昔からドイツ国内は、鉄道網の整備が進んでいる事で知られてい
ますが、乗車賃がこんな安価であるとは、本当に驚きでしたわい。
地下のホームへとエレベーターが延びてはおりますが、やはり改札がありませぬ。すると義妹は自分の定期を、エレベーター前にある小さなポストに
差し込みましたぞ。するとなにやら数字と記号が刻印され、団体の切符は人数分の枠を折って差し込みました。これがドイツの改札のようでございますわい。話
し遅れましたが、ミュンヒェン空港内はちと暑うございましたな、もちろん地下駅も少々暑うございます。義妹申しますに、ドイツ人はほとんど冷房を使わない
そうでございます。で、やって来ましたる列車、ちゃんと正面に“DB”
のマーク(DEUTSCHE
BUNDESBAHN。ドイツ国鉄の意、でございますが、厳密には旧西ドイツ時代の名称でございます)がございます――が、その車体の汚いこと汚いこと!
これが汚れなのか錆なのか判りません。中にはニューヨークの地下鉄よろしく落書きされているのもございます。メルクリンに始まる鉄道模型のドイツの全車種
は、ウェザリングの上にマスキングをしておかないと、全世界の鉄道模型ファンのみなさま、それは本物とは言えませぬな。そして車内。これまたあまり誉めら
れたものではありませんな。シートにシミはあるわ、新聞や紙くずが散らばっているボックスはあるわ、日本の小〇急線の車内でも、まさに月とスッポンでござ
います(笑)。
それに、車内はゲルマン民族であるドイツ人が使うには、ちと狭いような気がしますわい(後日お見受けしたところでは、男性三人のうち向かいの二人が両端
に、こちらの一人が真中に座り、たがいに足を組んで窮屈そうにしておりましたぞ)。この電車は地下鉄ではなく、近郊電車のようなものになりまして、S−
BAHNと申します。地下鉄はU−BAHNと呼ぶそうでございます。すべてが向かい合いのボックスに
なっており、ドイツには日本のようなロングシートは無いようですわい。もちろんこの車内にも冷房はありません。ただ救いなのは、わずかながら窓の上部が内
側に開くようになっておりました。驚いたのはそこに貼られていたシールで、ひとつはビンに丸と襷掛けのいわゆる『ポイ捨て禁止』マークで、もうひとつはな
んと、その窓の上部に足をかけている絵に丸と襷がけの、吾が輩思いまするに『この窓から出入り禁止』マークでしたわ。ドイツでは、そのような冒険を試みら
れる御仁がわりかし多いのでしょうかなぁ……。
ミュンヒェン駅を出たとたん、そこはもうドイツの農村風 景でした。ドイツの送電線はおおよそが地下になっていて電線、高圧線のたぐいは貧弱なのがたまさかにしか姿をあらしませなんだ。で、先ほどの切符ですが、 あれだけでは確かにキセルが懸念されますので、車掌さんが巡回しているのだそうです。が、どうも吾が輩一行の車両にはなかなか顔を出しませなんだ。義妹に 訊いてみると、実に彼女もまだ一度も出会ったことはない、というオドロキのお話。でも、やはり義妹と同じようにドイツに語学留学をしに来ていたある日本人 男性が、『見つかりっこないよ』とお気楽なラテン系、イタリアとフランスの友達にそうそそのかされ、堂々無賃乗車をしていたところ――悪いことはできませ ぬな。しばらくして覿面に車掌さんとばったり。彼は交通局に連れて行かれ、パスポートなどもろもろの情報を記録された挙句、ブラックリストに載せてしまわ れたそうでございますとさ。
街並みに大きなビルが目立つようになったころ、列車は
ミュンヒェン中心部に近づきました。まぁそれにしても、ドイツは列車が汚ければホームも草が伸びているし、鉄路の片隅にも雑草が生い茂っています。吾が輩
は失望した――と言うよりも、妙に感心しましてな。吾が輩考えてみましたところ、ドイツ人は
“無駄なことはしない”
という考えがあるのではないのでしょうか?
車体を洗ってもいずれ汚れるのは必定ですし、雑草は刈ってもやはり生えてきます。そんなことに労力と金銭を消費するのならば、
あるがままにしておいてもいいのではないのか……とは、私の過剰なる愛国心から発せられたヒイキでございましょうが、あるいは現実的と言えなくはあります
まいか?
――などと、柄にもなくお客様がたに分別くさい物言いをしてしまいましたことをお詫びしますわ。と、中心街に入ったのでS−BAHNはふたたび地下にもぐ
りマリーエン通り駅、イーザ・トーア駅を過ぎて、ローゼンハイマー通り駅に到着しました。この駅の真上のまん前に、吾が輩一行のミュンヒェンでの活動拠点
がおわしますのでございます――そう、シティー・ヒルトンに滞在させていただくのですわい。
こちらのヒルトン、このミュンヒェンでも屈指の高級ホテルでありまして、かの地で国際会談なんぞがありますと、会議場として使われることもあるそうですぞ。来訪する家族がどこに泊まるのか訊かれた義妹がこちらの名前を出すと、
『えーっ、あなたのご両親ってお金持ちなのね!』
などと言われたとか……おお、これはこれは。ちとお聞き 苦しい自慢話になってしまいましたかな。これは失敬。ま、そう言うことで、義妹にチェックインの手筈をつけてもらい、義妹ら女性陣は2階の禁煙室に、吾が 輩と養父どのは3階の喫煙室に別れて宿泊することとあいなりました。荷物を下ろしたところで、吾が輩一向は夕食をかねつつ、夜のミュンヒェン見物へとさっ そく洒落こみました。
時刻としては、現地時間でおよそ夜の八時前。しかしドイ
ツの夏はお日様が高く、空模様は黄昏なれど、かなりの光量を降り注いでおりましてな、吾が輩とてもでサングラスを手放せませんでしたわい。吾が輩一行はエ
メラルドを砕いて溶かしたようなイザール川の流れをルードヴィッヒ橋で渡り、イザール門を通ってイム・タール通りを経て新市庁舎前を目指して進みました。ああドイツ、ドイツ、ドイツ!
見るもの聞くもの、みなドイツでございますぞ――ちなみにミュンヒェンには、歩道と車道のほかにも
“自転車道”
なるものがございましてな、何をお急ぎなのか自転車やローラー・ブレードを使った方々がビュンビュン通っていくのでございます。慣れないうちはボンヤリその上を歩いてしまいしてな。後ろからリンリンやられてしまうという始末でしたわ。
して、時間が時間だけに途上の店々はすっかり閉店しておりましてな。吾が輩一行はウィンドウ・ショッピングよろしく街を見物させていただきましたわい――
では、どこで食事するの?
はいはい、さようでございますな。さて、日本と違いドイツの夏は極端に短く、ご存知の通り冬がそれはそれは長い。ゆえに夏ともなれば、ドイツ人は欣喜雀踊
して外に出たがるらしいのですな。それも、夜は文字通り長いのですから、陽光のある限りその恵みを享受したいというのが人情と言うもの。ですから、まさに
無闇に街をぶらついたり、一杯やりながら談笑するのが、ドイツの夏の楽しみというわけ。
その中でも、やたらに日光浴に固執される御仁もいらっしゃるようで。義妹の申しまするに、木々と芝生の多いイギリス庭園などを散策していると、突然半裸の
ご老人が茂みから現れたりするのだそうでございますぞ。欧米の女性ががリゾート地でトップレスになるのも、こういった土地柄・気候が関連しているのかも知
れませぬな。
そこで、カフェーや居酒屋は深夜営業を行うという理屈で
すわ。もともと両者は遅くまで営業しているのですが、日が延びればそれだけ客足も増えるという事。そこが、今回の吾が輩一行のように中途半端な時間に腹を
空かせている連中にはなによりの好都合、という訳ですわ。ま、そんなこんなで吾が輩一行が入った店は、ブロイハウス。つまりは居酒屋と言うことですな。もちろん、日本みたいに簡単な定食なんぞメニューにはございませぬ。何品かの料理を注文し、それをめいめいでいただく、という事になります。
ドイツでは、まず飲み物を注文するのがしきたり。吾が輩もちろん黒ビール。養父どのがコーラで、女性陣はアプフェル・ショーレという発酵前のリンゴの
ジュースを注文。で、あとはザウアークラウト付のソーセージや、豚肉の旨煮、シュペッツレ(小麦粉と卵、味付けに塩と香辛料をいれたドイツのパスタ。見た
目はスクランブルエッグのようです)、クネーデル(これは球形のおダンゴで、素材はじゃがいも、小麦、パンなどとさまざまです。このお店のはじゃがいもで
したわ)、サラダなどを頼んでまずは乾杯!
豚肉の旨煮は非常に美味で、特にカリカリした皮のあたりの美味しいことと言ったら!しかしザウアークラウトは、吾が輩ドイツ人として恥を忍んで言わせてい
ただくと、ちと慣れない限りはそう多量にはいただけませぬわ。養父どのらの申すには、『ご飯があれば』ということでしたが。シュペッツレにはチーズがか
かっており、これまたオツなお味。クネーデルは旨煮のソースを染ませて食べると非常に美味でしたわい。
お、あと面白いことに、ドイツ人が冷房をめったに使わないのと同じく、飲み物もキンキンに冷やして出す、という習慣はないそうですわ。
それは胃の調子を悪くしないように、と考えてのことかまでは知る由はありませぬが、留学初期に義妹が、『氷も入れたりしないの?』と訊くと、『だってあと
で薄くなるし、飲み物自体の量も少なくなっちゃうじゃん』という返事だったそうな。それと、コップにはきちんと"0.7L"と定量線が引いてあって、これ
は『ごまかしてませんよ』の意なのかどうかは判別しませぬ。
そんなこんなで、すっかりいい気分になった吾が輩とその家族たちは、食後の散策に新市庁舎やフラウエン教会の付近を歩きまして、今度は義妹の衣服をホテルに持ち込むべく、空港にあったのとまったく同じ型の連結バスにて寮へと移動しました。
吾が輩そこで荷物運びとあいなりまして、そこからホテルへは近いということで、寮の裏手の用水路に沿った道を歩いて帰りました。ぽつんぽつんと街灯しかな
いうら寂しい小道であり、吾が輩とても、ちと一人では歩きたくない雰囲気でしたわ。それにしても用水路の水量の多いこと多いこと。今でさえ洪水のように流
れているのに、これでイザール川が増水でもしたらどうなることやら、という勢いでしたぞ。
ホテルに着いて、二階の禁煙室で明日のプランを確認しようとしたところ、おや?
出際にフロントに頼んでおいた義妹用の仮設ベッドが入っておりませぬ。とりあえず起床時間などを確認し、義妹はフロント、吾が輩と養父どのは三階へと別れたのでございます。で、吾が輩たちの部屋にはいりますと、今度はそこに仮設ベッドがあるではありませんか。
これだ、と養父どのは女性陣の部屋に内線をかけ、義妹にこのことを知らせます。事は済んだと二人でタバコをくゆらしていると、ボーイさんが来てくれました
が――が、吾が輩も養父どのも、ドイツ語はおろか英語すらできません。手振り身振りと僅少の英単語を駆使してどうにかベッドは二階に移動。吾が輩たちもよ
うやく風呂につかり、就寝したという次第――これにて、吾が輩のドイツ旅行記、第一日目の終幕にございます。
1999.8.21 (C)Mephistopheles von Muenchhausen