さてさて、吾が輩いまだ三十路前なれど、昨今のインターネット世代のお客様がたに “喜劇王といえば” と問わば、いったいどなたのお名前が帰ってくるのでございましょうなぁ? さしずめは 『 ビートたけし 』 となってしまうのでございましょうか。え? はて、『 エノケン 』 ですと――お客様、それは渋すぎますぞ(笑)。吾が輩の年代であれば、喜劇王といえばやはり 『 チャールズ・チャップリン 』 の名が、いの一番に出てくることでございましょう。
もちろん、彼は吾が輩が生まれるずっと以前から喜劇王の地位を不動の物としていたわけで、それこそ吾が輩が物心ついた時点ですでに、“チャップリン=喜劇の王様”
という図式すらすり込まれていたやもしれませぬ。
いまでこそ、ときたまNHKでいくつかの短編が、まるで深夜の穴埋め番組のように流される程度でございますが、ひと頃は毎年きまった時期に、“チャップリン映画劇場”な
どと銘打って集中的に放映されていたものでございます。もっと昔の話をすれば、吾が輩が小学校の低学年ぐらいの頃でありましたら、街の映画館でも年に一回
はかならず――そう、夏ともなれば、おおよそ一週間ほど全編チャップリンだけの番組で興行していたようにも記憶しておりまする。そんな幼き日であれば、い
かに物好きな吾が輩なれど、チャップリン目当てに映画館に通うようなことはありませんでしたわい。いいところ 『 東映まんが祭り 』 ぐらいが関の山でございましょう。
それでも、テレビの特番(これも懐かしい、“川口浩探検隊” で一世を風靡した『水曜スペシャル』とか)などで洋画名場面特集などが組まれますと、“街の灯” や “黄金狂時代” 、 “キッド” などの一場面が放映されたりして、かなり断片的ではありましたが、情報を仕入れることができた程度でした。ですので、当時の身近な “お笑いの王様” といえば、これは大多数のお客様の支持を得られるのではないかと思われる、『 ザ・ドリフターズ 』 でございましたな、吾が輩も。そのすぐあとに、良くも悪くも現在に至るまでのお笑いの質を変えた『おれたちひょうきん族』がやって来て、一方の “視聴率100%の男(週に抱えている番組の合計だそうです)” こと欽ちゃんは、欽ドン、欽どこ共に人気のピークを迎え、そして確実に失速していく様をタイムリーに観て行くことになりまする。
中学に上がった頃から、吾が輩のマイノリティー嗜好は徐々に頭をもたげて来よりましてな。お笑いについてもその傾向が顕著にあらわれるようになっていきましたわい。やがて “8時だよ、全員集合!”がひょうきん族に敗れ去ったことは、幾人かのお客様も鮮明な記憶と しておぼえてらっしゃるのではないかと思われます。かつては“下品”のレッテルを貼られた(たしかにドリフは、ウンコやオシッコといった子供の大好きキー ワードを押さえてましたからなァ。もちろん、下品とされたのはそれだけの理由ではありませんでしたが)笑いは終わったのです。そしてその次に来たのは、芸 人さんとスタッフの膿んだ馴れ合いのたれ流し、そして内容も“下品”から、“品性下劣”へと腐っていくかのように見えました(それも、『鶴光のオールナイ ト・ニッポン』でリスナーに配布されていたステッカー程度ではとどまらぬほどに……この含みをご理解できるお客様はいらしゃいますかな?)。
吾が輩、なおさら当時のお笑い番組から遠ざかりましてな。して、吾が輩のよくある傾向として、“温故知新” を求めて昔の喜劇などを好んで観るようになりました。観る、といっても名画座はその名の通り著名な映画しか放映しませぬから、日曜の午後などにポッカリ空 いた時間帯に流される、まぁいわゆる『B級映画』などを目当てにしておりました。B級と言いますと気分を害される御仁もいらっしゃるやも知れませぬが、た とえば故・フランキー堺さんが主演の『喜劇・〇〇列車』シリーズや、中村メイコさんとともに芸能人名士の葬式のレギュラー(と評するのはあまりに猛毒でございましょうか?)である森繁久弥御大が主演の『喜劇・駅前〇〇』や『社長シリーズ』などはどれも数本の続編が作られているヒット作ではございますが、筋立てや展開がどれも毎回似通っているという事実は、何人たりとも否めますまい――ともあれ、吾が輩は東宝松竹問わず、題名のトップに『喜劇』の二文字がつく映画を渉猟しておりました次第。もちろん、クレイジーキャッツのシリーズも見逃しはしませんでしたぞ。
しかし、つまりはテレビ局の気まぐれ加減をアテにしておったわけでして、ましてやBSなども無かった時代。どのシリーズもすべて目を通すことは叶い
ませんでした。ちと話は外れますが、考え様によっては『若大将シリーズ』も、喜劇と呼ぼうと思えば可能かもしれませぬな――して、話は大幅に吾が輩の見た
お笑いの流れの変遷になってしまいましたが、本題であるチャップリンが出てくるのも、実にこの時期でございます。
それはやはりNHKで催されたチャップリンの集中放送で、またお誂え向きにビデオも吾が家に導入されたこともあり、吾が輩の一番好きな
“犬の生活”
をはじめとして、“黄金狂時代”、“給料日”、“偽牧師”などを録画し、ここでようやく『喜劇の原点』に触れられたような感慨がありました。
これはなにも誇張ではなく、それまで “ドリフ大爆笑”
などで散見していたギャグの根源を、それらの映画の中に見出したからでありますわい。具体的に申せば、“給料日” で
見せたレンガ積みのアクロバティックな技(仲間が無造作に投げるレンガを、チャップリンが目もくれずに背面で次々とキャッチ。果てはお尻やかかとでいくつ
か積み上げながら……そのタネは、単純にフィルムの逆回し)など、まさに現在にもつながる“見せる”アイデアがいくつも盛り込まれているのに、正直ド肝を
抜かされましたわ。それはデヴィッド・W・グリフィスが、近代映画の父と呼ばれるにふさわしい数々の映画的表現の手法を編み出し、それらを作品へと昇華さ
せていったのとまったく同じなのでございます。ハードを使いこなし、映像における動きの表現効果を知り尽くし、スパイスの効いた小市民的な反骨精神と小狡
さ、そうして最後に100%のものではないにせよ、ささやかな幸せの到来をほのめかすラストシーン。それが、サイレントにおけるチャップリンであると吾が
輩は考えますですな。
(続き)
サイレント――そう、映画の創世記であったればこそ、チャップリンもあれだけの技巧を駆使できたのかもしれませぬな。映画界はやがてトーキーの時代となり
ます。当然、喜劇王もトーキーでの活躍を期待されることとあいなりますが、ドタ靴に山高シャッポの王様は、トーキーをかなり嫌悪しておったそうにございま
すぞ。チャップリンは自分の世界的な名声をもたらしてくれた物こそ、サイレントであったことを誰よりも知っていたのですな。だからと言うわけではありませ
ぬが、チャップリンはサイレントへのこだわりを容易には棄てきれなかったそうでございますわい。
それはなにも、かの発明王エジソンが安全かつ送電の簡単な交流電気が発明されたのち も、自分の発明である直流電気に固執し続けたのとはわけが違います。彼には自信がありました。『台詞なんかなくても、自分の映画は世界中の人々を笑わせら れる』と。それは逆に返せば、『台詞(言語)があれば、それだけ自分の伝えたいメッセージが制限される』ということなのでした。彼の演出は、よほどの文化 の差がない限りは誰しも共感できるキーワードで構成されており、そして彼のさまざまな動作は、それこそ文化を問わずに理解できる明快なコミカルさのかたま りでありまする。それがために、アメリカをはじめとして生まれ故郷のイギリスやフランスといったヨーロッパや、そして日本でも(東南アジアやインド、イス ラム教圏などはさすがに判りませなんだが)喜劇王の名を欲しいままにできたのでございます。その伝家の宝刀に、自ら要らぬ焼き入れをせねばならない彼の心 境といったら、一体いかばかりのものでございましたろうか?
それでも、時代の潮流にはさからえませぬ。そこで作り上げたチャップリン初のトーキーこそ、かの “独裁者” であることは、お客様がたもよくご存知のことと思われますわ。第一次大戦で記憶喪失になったユダヤ人の床屋さんと、世界征服をもくろむトメニアの独裁者、 アデノイド・ヒンケルの二役を演じ分けたこの作品で、クライマックスと言えばやはり最後の演説シーンでございましょう。トーキーを作るにあたり、チャップ リンがもっとも重視していたのはもちろん自分の肉声を映画を通じて観客に伝えられること。トーキーの意義を考え、その最適な有効性に着眼するところこそ、 彼の天才たる面目躍如であると吾が輩は考えまする――しかし、時代は吾が輩たちが考えるより深刻でありました。破竹の勢いでヨーロッパの東西を席巻するナ チス・ドイツの底力は測りきれぬものがあり、まさか大西洋を越えてアメリカ大陸まで波及するとまでは考えていなかったものの、ヒトラーをいたずらに刺激す るのは政府も好まなかったようでございます。して、せっかくの初トーキーも上映禁止のきついお達しを受けました。
また、すこし前に上映された彼の自伝映画のCMで、『独裁者の映画なんか誰が観るんだ!』と怒号されるワンシーンがあったように、スタッフからも制 作には懸念の声が高かったようでございます。それでも撮影に踏み切った彼の決意には、単純に “社会と人間の自由を蹂躙する者” への怒りだけではなく、いささかの因縁めいたなにかを感じていたようにございます。なにしろ、彼とヒトラーは同じ1989年に生まれ、誕生日もさほど離れ ておりませなんだ(ヒトラーが4月20日で、チャップリンのそれはちと失念してしまい申した)。また、黎明期のヒトラーがチョビ髭にしたのは、チャップリ ン人気にあやかったから、などというウワサもあったそうでございます。この話はちと眉唾なれど、のちに成功したヒトラーは、自分によく似た喜劇役者がコメ ディを演じているのがかなり不快だったらしく、しばしば上映禁止にしていたようですので、チャップリンとしては大義からも私的な “仕返し” としても、独裁者を揶揄する映画は作らねばならぬ意義があったのですな。
第二次世界大戦が終わり、ハーケンクロイツの脅威を粉砕したあとの世界にもたらされたのは、ささやかな安堵と大いなる悲嘆ばかりではありませぬ。生
き残った人々は、二色に塗り分けられた世界にたがいを疑心暗鬼しつつ命を永らえなければなりませんでした。そして、喜劇王のつくる映画にも、色合いの変化
が出てきました。
複数のご婦人たちを手玉にとったうえでそれぞれ殺めてしまう
“青ひげ”
にこめられたメッセージは、吾が輩ここでくだくだしく述べるつもりはございませぬ。以後の
“ライムライト” などの諸作品も、なにか哀調といいますか、せつないラストの作品ばかりのように見受けられるのは、なにも吾が輩ばかりではないと思われます。
そもそも、戦後の彼の映画はつくり自体が
“ハリウッド映画”
になってしまい、幾個所かにちりばめられたコメディはそれこそ幕間劇になってしまっているような観がありますわな。ちと意地悪な言い方をさせていただきますと、“チャップリンの芸を織り混ぜた長尺モノ”
というところでしょうか。もはや全編喜劇、では無くなってしまったのですな。
――こうなりますと、なんだか
“チャップリン批判”
になってしまいそうですが、吾が輩はっきり言って戦後の作品は好きになれませぬ。やはり台詞のある演技のチャップリンに、違和感を感じるからなのでしょうな。彼自身、戦後はマッカーシズムの煽りをうけて
“赤狩り” (彼の容疑は“共産主義者”ではなく、“アナーキスト”でございました)の標的にされたり、果てはアメリカを追われたりと逆風も逆風が吹きつけたものでございます。
そんなこんなで、最後はアメリカに復帰を許されるのではございますが、最後の最後で申し訳ございませぬが、彼の遺作にあたるのは、果たして何かが吾 が輩には判りませぬ。と言うよりは、晩年は映画を撮っていなかったように記憶しておりますが――映画どころの状態じゃなかったのか、それとも静かに隠棲し たい心境だったのか――なんか、このコラムもさみしいラストになってしまいそうですなぁ。その代わりに、ラストは “キッド” と並んでサイレント時代の傑作、“街の灯” についての、吾が輩の年来のギモンをば……。
宿無しのチャーリーは、今日も街をふらつきます。するととある街角で、目の見えない花売りの女の子と知り合います。手術をすれば視力は回復するらし
いのですが、いかんせん貧しい身の上なれば、お医者さんにかかるお金などあろうはずがありませぬ。もちろん、チャーリーははなから一文無しです。それでも
女の子を不憫に思った彼は金策に走ります。どうにかこうにか、曲がりなりにもお金を手に入れたチャーリーはそれを女の子に託し、手術をするように言い残し
てて去って行きます――そのお金は、法に触れる手段に及んで手に入れたのでしたから。
数年が過ぎて、チャーリーは釈放され、晴れて自由の身。しかしみすぼらしさには一段と磨きがかかり、彼を見かけた悪童は戯け半分に石を投げます。怒って悪
童たちを叱りながらも、チャーリーはその場を去ろうとします。最初は笑ってその様子を眺めていた花屋の娘も、そんな彼を気の毒に思って包んだ小銭を渡そう
と近寄ります。呼びとめられ、自分を直視する娘が誰だか気付いて喜ぶチャーリー。でも、娘にとって彼は初めて見る人間です。その笑いの意味が呑みこめませ
ぬ。しかし、包みを握らせようと彼の手を取ったそのとき、手に伝わる感触から、彼がかつての親切な男性であることが知れるのであります。
おどろきを隠せない娘の顔と、はにかみながらも笑うチャーリーの顔――そして画面にはFinの文字。
果たして、このあとに訪れるのは幸福なのか、それとも哀しい現実なのでしょうか?
このラストは、かなり多岐にわたる解釈が可能だと吾が輩は思いまする。ちなみに吾が輩は、後者ではないかと邪推しておりますわい……して、『あなたの心の中には、何が残りましたか?』
1999.9.10 (C)Mephistopheles von Muenchhausen