ほらふき男爵の“世紀末ドイツ旅行記”
第八日目(最終日)
7月9日(金)
7月9日(現地時間AM06:30ごろ)
ああ、ついに最後の日がきてしまいま した。吾が輩、あんな東アジア中の鼻つまみ者の吹き溜まりには帰りとうはございませぬ。しかし、こちらで暮らすに言語力はなく、ましてや口を糊するための 職能など持ち合わせておりませぬわ。ああそうですとも。どうせ吾が輩は貴族という身分にかまけて、実社会で役に立つような仕事にも就いてきませなんだし、 ましてや言語については言語道断ですわ――ああ、お集まりのお客様がたにはまことに申し訳ありませぬ。吾が輩興奮のあまり、つい逆ギレしてしまいましたわ い。
ともあれ、泣こうが笑おうが帰国という事実は動かしがたく、吾が輩かの京極堂の主人よろしく、あたかも世界中の人類が滅んだかのような仏頂面で荷物をまとめたものですわ。
ミュンヒェンを去る前に、吾が輩一行は荷物を置きに戻る義妹とともに寮へと向かい、そのまま就業後に住まうアパートメントを見に行きました。外は今日もかなり冷え込みまして、実際吐く息が白く見えるくらいでした。さりとて零下まで気温が下がっているわけではございませんで、証拠にデジカメで撮れなかったのが残念でございます。
義妹の借りたアパートメントは、大きな通りに面した結構にぎやかそうな街区にありました。かと言って、中まで入って間取りを確認するまではしませんでしたが、入口にインターフォンがついていて、安全性もよろしいという話しでしたわい。
もちろん、ホテルまで歩いて行ける距離ですが(歩いて出てきたから当たり前ですな)、その帰路は
商店街になっており、レストランや雑貨屋、金物屋など、生活用品についても非常に簡便な街区のようでした。途中で思いがけずケバブ屋さんを見つけたので、
吾が輩は最後の味わいとばかりに義妹とともに購入。歩きながらの食事となりましたが、ドイツでは特にはしたないとされる事はないようでございました。ま、
日本も昨今では食べ歩きはかなり見受けられますでな――おお失念失念。ちなみに朝食は、きっちりミュラーのパンをいただきましたうえで、でございますわ
い。
そうして、シティー・ヒルトンをあと にして、乗り込みましたはS-BAHN。このまま郊外の空港までまっしぐらでございます。コンコースを来たときと逆進し、いよいよ出国ゲートに入ります。 義妹とは、またしばしのお別れです。養母どのや従姉がそれぞれ励ましや慰労の言葉を伝えるなか、吾が輩は、
『今度来るときは、ドイツ語で注文がとれるぐらいになるよ』
と、なかば本気で宣言してしまいましたのです。さて、精進せねば……。
そして最後に養父どのの、
『独りで大変だろうけど、がんばってね』
と、簡素ながらも真情を凝縮した言葉 に、これまで抑えてきたのであろう涙が、ポロリと義妹の頬をつたいましたわ。父娘はたがいに抱擁しあい、そして言葉無くして離れました。しかしそこには、 触れあった胸と胸をとおして、親子の情愛が交わされていたのは、吾が輩が申し上げるまでもなかろうかと思われます――はて? なにやら吾が輩、ずいぶんと他人行儀ないいぐさでありますなぁ。
して、お別れのあとで一仕事でござい
ます。そう、出国に際しての持ち物検査でございます。成田の出国と同じく、吾が輩どこもかしこも金属だらけですので、係員さんが探知機をかざすところ、た
いていはアラームがなります。それはまるで冬山の斜面を滑落し、全身を骨折して主要部分にボルトを埋め込まれた方にでもなったかのようでしたわ。
ベレーやら腕時計やら財布をはじめ、果てにはエンジニア・ブーツも脱がされたところでようやく容疑も晴れ、ご放免となりました。次の人が検査を受けている
間に、外した装備を再装着しましたが、そこは平素から使用していますゆえ、手間はかかりませぬ。しかしあすこで靴を脱ぎ履きしている御仁というのは、なか
なかいらっしゃらないのでは?
吾が輩、もしかしたらまわりの人々に不審人物として見られていたやも知れませぬな。
帰りの国内線は、中央の四席にみな顔
をそろえ、吾が輩窓外の景色を眺められなかったのがちと残念でございました。滑走路に入るとロケット・スタートよろしく猛烈な加速をつけ、機は吾が輩の未
練を断ち切るかのように荒々しくミュンヒェン空港を飛び立ちましたわ。もうこの新千歳空港と見まがうばかりののどかな眺望ともお別れです。
ああミュンヒェン、ミュンヒェン。吾が輩かならずや、この麗しき都市に戻ってまいりますぞ!
この体験をただの旅の記憶としてではなく、次なる“ドイツ移住計画”の大いなる一歩として、そして吾が輩を純然たるドイツ人たらしめるための重要な糧として、きっと役立たてることを誓ったのでございます……はて、何において誓いを立てたのか、ですと?
お客様、それはもちろん決まっておりましょう。それはナイショにございます♪
予定よりもはやく到着したのか、フランクフルト空港ではかなり時間に余裕ができました。そこで家族らは構内の免税店をめぐり、吾が輩はおトイレを
借りに行きました。その帰り、吾が輩待ち合いフロアの一角に、自動のコーヒースタンドが設けられているのを発見しました。吾が輩しばし観察しております
と、利用する方々、誰もどこにもお金を投入せずにコーヒーをいただいておる様子。そこで吾が輩も一杯淹れてみますと、たしかにコインの投入口もなく、説明
にもFreeの文字が確認できました。
すごいですぞ、これは!
ルフトハンザは太っ腹でございますわい。お好みにより紅茶も所望することが可能で、そのうえスタンドの正面は喫煙コーナーになっており、吾が輩片手にコー
ヒー、もう片手にタバコをくゆらせて、優雅な時間を過ごさせていただきました……もちろん、無料コーヒースタンドはは家族にも教えてやり、それぞれ好みの
飲み物を持って一服しましたのは申し上げるまでもございますまい。
して、搭乗の時刻になりまして、吾が輩機内に入りまして搭乗員さんに自分の席の番号を示しました、搭乗員さんは笑顔であちらですと教えてくださいました。
ですが、吾が輩がその席のそばでマゴついておりますと、その搭乗員さんはわざわざやって来てくださいまして、吾が輩の席をズバリ、『ここネ』と示してくだ
さいました。この望外な親切さに、吾が輩思わずこころからの謝辞を述べさせていただきました次第。ほんに、ルフトハンザはいい航空会社でございますぞ。
こちらの機でも吾が輩たちは中央の四席となり、これで行きと同じく、時間をつぶすのは本やMDということになりました。これから13時間を座ったままの状態で消費せねばいけないのですから、これはかなりの重労働ではありますわ。
そのなかで、飲み物のサービスが何度かありまして、女性の搭乗員さん(パーサーさんとおっしゃるのですかな?)が、『Tea or coffee?』と尋ねてきます。吾が輩すかさずコーヒーを頼みましたが、次なる『なにかお入れします?』(何故かここだけ日本語なのは、何とおっしゃったか忘れてしまい申した)という質問に、吾が輩ブラックしか飲みませぬゆえ、返した言葉が、『No sugar ,No milk』(砂糖もミルクも要らない)にございました。パーサーさん一拍おかれて、再び発せられたのは『Nothing?』(なにもなしですか?)の一言。
吾が輩ここで思いましたな。どんな言語を使おうと、その人個人の持ち前の思考は、まったくそのまま反映されるものなのだなぁ、と。
吾が輩、以前から話し言葉が婉曲であると良く指摘されましてな。言ってしまえばまわりくどい、直接的でない、ということになるようですわ。かつてアメリカ留学から帰ってきた義妹が申すには、『ドイツ系のアメリカ人の話し方に似ている』だとか……。
これは吾が輩がかつてドイツ語を、文字通り独学で勉強していた頃に読んだ本に書かれていたのですが、ドイツ人は沈黙は愚かさの露呈であると考えるらしく、
雄弁であり、また語彙を豊富かつ巧みに扱えることが、ひとかどの人物として認められる条件とされているようでございます。ゆえに、ドイツ系移民は普通の米
語で四つほどの単語ですむ表現を、六つも七つも使って話したり、また頻度の少ないレアな単語や、好んで難しい表現を選んで話すのだそうでございます(例を
挙げれば『歩いて』を『徒歩で』とするような感じですかな)。これがちょうど、日本での吾が輩の話し振りに酷似しているのだそうですわ。
この件は、はからずもまさにその事実を露見させておりましたわい。吾が輩つらつら考えまするに、これですと吾が輩がドイツ語をおぼえても、本場のドイツ人ですら嫌がるような面倒きわまりないドイツ語を話しそうだなぁ、などと――。
――そんなこんなで、吾が輩の『この飛行機墜ちねぇかなぁ』などという不謹慎な願いも叶うことなく、機は無事に成田に到着。そして明日の日曜をはさんで、ふたたびこれまでと同じの、変わり映えのない毎日が始まるのでございましょうか――
〜 〜
おしまいに寄せて 〜 〜
これにて、吾が輩ことメフィストフェ レス・フォン・ミュンヒハウゼンのドイツ旅行記、まずは一巻の終わりにございます。こののち、実は後日譚があるのでございますが、それはまたの機会にご披 露させていただきたく存じますわい。それでは、吾が輩の長広舌(そういや、序文では“書き記した”と申しておりましたな、いや失敬失敬)、ともあれ長々し い駄文にお付き合いいただきましたお客様がた、まことに有り難うございました。吾がサロンにはほかにも小部屋が用意してございますゆえ、是非ともそちらの 方もご利用くださいませ。
1999.8.21 (C)Mephistopheles von Muenchhausen